第3回 読む哲学カフェ プラトン著【饗宴】

 

GW真っ最中の熱いくらいの土曜日に開催しました

第3回読む哲学カフェ、2か月通しで読むプラトン著「饗宴」

皆様ご参加ありがとうございました。

 

 

 

今月は「恋や愛」について、ちょっと現実をテーマに語りあいたかったので、そこそこ俗っぽい話も織り交ぜたりしました。

 

しかしながら、愛や美を語っていながら、やはり「原発問題」や「国家」そのものに関する話題にも花が咲いてしまうあたり、我々の現代おかれている状況を垣間見たりもします。

 

人間は、すべてにおいてそうなのですが、よくよく理解できない事柄に出会いますと、自分の「知っている」事柄や「興味のある」事柄で、イメージします。

 

それはもう、そうするしかほかないわけです。

 

なぜって?だって、私たちは、私たち自身が映写機で、私たちが見たいものを、もしくは、私たちが見ようとしたものを、自分自身に見せているわけですから。

ですから、同じ本を読んだはずなのに、同じ映画を、同じ音楽を、同じ匂いを・・・共有したはずなのに、誰かと誰かは違った印象を持ったりするのです。

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弁論術から哲学へ

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プラトン著「饗宴」

古代ギリシアではオリンピックのように「言論」を競い合う文化があった。その頃のお話です。→このころ日本は…なんと縄文時代!!

 

弁論術がもてはやされていたアテナイ

アガトンの言論大会優勝祝賀会の席で6人のアテナイ人名士が「愛(エロース」を賛美する言論を順番に語る…というものです。

 

まだ「哲学」という言葉のなかった時代に、日常の言葉を厳密に突き詰めていくことで「考える」ということをしていたソクラテスを中心に、言論を通じて真理に迫っていく様が書かれている作品です。

 

この作品に書かれている時代というのはギリシアの歴史の中でも転換期となる重要な時期、ペロポネソス戦争も始まり、やがてアテナイは敗戦に向けて急速に没落していく。。その激動の時代をほんの少し後に迎える、社会に対して緊張と不安が渦巻くというような時期だったのです。

 

饗宴=シュンポシオン

 

一緒に呑むというような意味の言葉です

これが現代における「シンポジウム」という言葉になりました。

 

***順々に語られるエロース***

 

パイドロス→社会でどのようにエロースが有益性を持っているかということを中心に語ります。「愛する人は相手に見られて恥ずかしくないような立派なん振る舞いをする」と主張。

 

エリキュシマコス→医者である彼は、エロースは人間関係だけではなく、全宇宙や身体の調和を司るものだとし、正しくそれらの関係を識別し調和させていくのが医術を専門とする自分の役割だとし、エロースを自然の摂理にまで絡めていきます。

 

アリストファネス→彼はここでいったん仕切り直しをします。エロースは人間たちの助っ人であって、医者なのでもあるのだから、エロースの力を理解するためには、まず人間の本性を知らなければならないとし、人間の本性と原型を語ります。

*アリストファネスの語る神話*

古代の人間は、頭が2つ、丸い胴体で手足が4本ずつあった。性別も男と男、女と女、そして、男と女の3種類が存在していた。そんな人間たちの腕力は膨大であった、ついには神に対しても傲慢になって、神々に対しても戦いを挑み始めた。このような人間の振る舞いに腹を立てた神ゼウスは人間の身体を背中から糸で卵を半分にするように真っ二つに切ってしまった。

その時に皮膚を巾着のように絞って縫い合わせた部分がへそになった。

半身をうしなった人間は、失った半身を求めてさまようこととなった。そして半身を見つけると抱き合ったまで死ぬまで何もしない。かわいそうに思った神は人間の性器を身体の前側に付け替えた。身体の前側に性器がついたことで、男と女の半身が抱き合うと子供が生まれるようになった。

アリストファネスが語る、この神話は古くから現代にいたるまで多くの文学や芸術に影響を与えています。

 

アリストファネスが説くように、人間は欠落した半身を求める本性を持っているのでしょうか?というようなことみんなで少し考えてみました。いろんな意見が出ましたね。いろんな意見が出たということが素晴らしいのではないかと思います。正解ではなく、いろんな意見。これを大事にしていきたいですね。

**俗っぽいものに哲学を見つける**

ということでなにか見つけようと思いましたが

このアリストファネスの神話の話をイメージさせる歌詞を見つけましたので皆さんにご紹介しました。

告白:という歌の歌詞ですが、「私の中のあなたをいつも殺して生きてきた」と、最初っから来ました―という感じです。私たちは自分の半身ともいうべき、自分らしさを大人になるにつれ殺すように隠して生きている、そんな人ってたくさんいますよね。みんな苦しんでいたり。悩んでもいるでしょう。

「誰もが知るあの歌が私には届かない」最初に書きましたが、私たちの見ているものは、自分が見たいもの、自分が見たことのあるもの、そのようなイメージしやすいものの姿を借りて私たちにナニカを見せることが多々あります。

 

興味がなければ響かない

好きでなければ恋はできない

 

ごくごく当然のことですね


アガトン→いよいよ主役の登場です。エロース賛美が披露される。エロースはパイドロスが主張するような古い神ではなく、若い神なのだと、自分の前に語った者たちをさりげなく否定までし自分を勝利へと導こうとするのです。

 

 

 

ここでソクラテス登場です

 

美しく見せかけることと、真実を語ることは違う。私は真実を語ることしかできないとソクラテスは列席者に言います。

それまでの演説スタイルではなく、問答形式でエロースについて語っていきます。

これ、ソクラテスおじさんの典型的なやり方です。もう余すところなくその魅力が詰まってます!読んでみてくださいね!!

 

演説ではなく問答することによって、哲学するやり方は誕生したわけです。

 

さらに、ソクラテスがディオティマという女性から愛のことを教わった話へと続いて行きます。

 

愛→本質的に備わっているものではなく、導きによって知覚できるのかもしれない

読み進めるうちにそんなことを感じました。

 

 

最後のアルキビアデス

酔っ払って乱入、ソクラテスへの苦しい愛を語ります。

最後の最後にとても俗っぽい失恋や嫉妬の苦しみを嫌味たっぷりに聞かされます(笑)でも、だからこそ、最初の頁からまた読もうという気持ちになる。プラトン天才!と思うばかりです。

 

 

***プラトニックラブ***

 

地球上の偉人の中で

もっとも誤解されている人であろうプラトン

みなさんは、「プラトニックラブ」を

「身体を否定する精神だけの愛」

という風に解釈していませんか?

 

実は、これが大きな誤解なのです。

 

この「プラトニックラブ」という言葉は、15世紀のプラトン研究者マルシリオ・フィチーノさんという方が「プラトン的愛」という言葉である「プラトニックラブ」という言葉をつくりました。その言葉が17世紀のイギリス宮廷で大流行して現代社会にまで大きな誤解を残してしまったのです。

 

この「饗宴」の中で、肉体的な恋愛が禁止されているような記述は一切出てきません。当時のキリスト教文化とプラトン主義哲学の融合が大きく影響したものと思われます。

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今月も皆さんどうもありがとうございました。という感じで二次会?いやいやただの夕飯ですが、さらに少しの時間盛り上がりました。(笑)

 

「饗宴」を読むことで、かけがえのないものってなんだろう?そんな疑問にもぶつかったりしました。現代社会の中における「気の合う感じ」とか「仲が良い」とか、そんなものではないんだなぁ。。かけがえのない関係というのは。個人的にとか、この組み合わせだからとか、そのようなものではなく、かけがえのない関わりを育んでこそかけがえのない愛が存在するのだということ。しっかりとプラトン先生に学びました。

 

また、数年したら読み返したい1冊です。