第6回読む哲学カフェ ブッダの言葉を読む

「仏教」と私たちが普段思っているもの

それをいったんはずしたところで

ブッダにの言葉を感じてみようというテーマで

壮大なるブッダの世界に挑戦しました

 

すべての仏教に通ずる

【ゴータマ・シッダールタ=ブッダ(覚者)である】

という大前提のもとでブッダの言葉に触れてみる

 

ちょうどお盆ということもあり

いろいろな意味で感慨深い時間となったと思います

インド北部(現在のネパール)にあたる地域に、紀元前5世紀ころ、釈迦族の王子ゴータマ・シッダールタは生まれました。

仏教と私たちが呼んでいる教えは、このシッダールタによって創設された宗教とされています。

 

パーリー語では「ゴータマ・ブッダ」

サンスクリット語では「ガウタマ・ブッダ」

(ブッダ)→目覚めた人

何かの対象を知覚するときにもインドでは「ブド」という動詞を使うくらいです。

 

この「ブッダ」という音を「仏」で表し

玄奘三蔵の「大唐西域記」以降に「仏陀」と表記するようになりました。

 

*家系と風土*

 

シッダールタが生まれた釈迦族は太陽の末裔とうたわれた家系

インドの王族は太陽の子孫か、月の子孫のどちらかに決められており

これは、日本の源平の分け方にも似ていると思われる部分です

そのほかにも、釈迦族のいたネパールでは白米を食べる習慣もあり

食の面からも日本と風土が似ているように感じられます

 

父→浄飯王

母→摩耶夫人

少年時代より人生に深く悩む少年であったシッダールタでしたが身体は華奢であったと伝えられています。

 

*生病老死*

若きシッダールタは人間の生病老死を目の当たりにし、人間のおごり高ぶりを垣間見ます。

 

若さへのおごり、健康へのおごり、生きていることへのおごり・・・

そして、この「おごり」こそは「人間の本質」であると・・・

 

シッダールタは出家することになりますが

妃ヤショーダラと長男ラーフラを置いての出家でありました。

 

*長男ラーフラについて*

子が生まれた時にシッダールタが「障り(ラーフラ)が生まれた、緊縛が生まれた」とつぶやいた言葉がその名の由来であるといわれています。

子ラーフラは覚りを開いて帰郷した釈尊について出家、戒律を細かく守ることから蜜行第一と称された仏十大弟子のひとりとなります。

 

都の外に出かけ、老人、病人、死人、出家者を見かけ、出家へと心ひかれた「考える人シッダールタ」は、29歳の時に、国も親も妃も子も、すべてを捨てて出家したのです。

 

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ブッダの言葉を読みながら

宗教などにとらわれることなく

自己の内にあるイメージを頼りに

なにかを見つけたい気持ちでこのテーマに取り組みました

 

しかしながら、ブッダの言葉を読むうえで、やはり仏教を全く知らずに読むことは不可能だと思われましたので、少しだけですが仏教について解説させていただきました。

といいましても、私も宗教者ではないのでまったくの素人ですが、以下のようにまとめました。

 

・仏教に「救い」という考え方はない

・仏教における「救い」は仏になることであり

まさに「成仏」する状態になることであります

 

さらに、この「成仏」について、ブッダは自然現象であるととらえており、自然的なプロセスなのです。

 

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仏教→

お釈迦様はこのように考えていましたよ。という言葉を読んでその思想を追体験する読んだ人全員参加する、参加型ムーブメント

 

この夜、私たちもその参加型ムーブメントに参加したのでしょう

 

 

ブッダ・真理の言葉より(中村元著)

 

【千という数にちなんで】

 

無垢な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞く方がすぐれている。

 

無益な語句よりなる詩が千もあっても、聞いて心の静まる詩を一つ聞く方がすぐれている。

 

無益な語句よりなる詩を百も唱えるよりも、聞いて心の静まる詩を一つ聞く方がすぐれている。

 

線上において百万人に勝つとしても、唯一つの自己に克つ者こそ、実に最上の勝利者である。

 

自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりすぐれている。常に行いを慎み、自己を整えている人、このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神にも、ガンダルヴァ(天の技楽神)も、悪魔も梵天もなすことができない。

 

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以上は抜粋ですが、皆さんに効いていただきながら朗読させていただきました。

 

ダルマや真理が時代で変化することそのものが矛盾だ

ブッダの思想や行動背景「まぼろし」だ

ブッダはアナーキーだ

哲学カフェで宗教をどんな風に扱うのかが興味深かった

ブッダはアーティストのようだ

 

などなど、みなさんの意見が後半活発にでたこと

とても勉強になりました

ブッダが、考えるということの井戸端会議的な時間をくれたのだなぁと思っています

 

日本人の生活の中に、当たり前にあふれている仏教の教え

あまりにも長い間当たり前にそこにあったために

私たちは仏教に対して「あるもの」として漠然と受け入れる体制が整っていて

考えるという作業においてわざわざフォーカスしないものかもしれない

しかし今回、わざわざブッダの言葉にフォーカスすることで

欲望の制御、本性を制御することの重要性を改めて感じた夜でありました。

 

ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。

あまりにも壮大すぎたブッダの世界でしたが、ぜひまたトライしたいと思っています

どうぞよろしくお願いします!