第13回読む哲学カフェ@西荻窪「人生をめぐる哲学的対話ワークショップ」

人生をめぐる哲学的対話ワークショップ


と、題して開催しました

長野に引き続きのテーマです。

 

今月は参加者が少なく、しかしながらその分じっくりと考えることが可能となった気がします。

 

長野では、対話的なカフェの方が参加者が集まりますが、東京は少し違うんだなぁと、土地柄のようなことをしみじみ感じています。そういうことも、開催して初めてわかることですね、実際に経験に勝るものなしだなとも思います。

 

テーマは4つでしたが、この4つは実は一つのものであるかもしれない。

 

「才能・嘘・美・執着」

私が、これらのテーマにこだわるのはそのような理由からです。

 

今回のカフェでは、「けっきょく普通に当たり前にしなければならないことを、当たり前にちゃんとやること」だねぇという感じで、カフェは終了しました。

 

なぁんだそれ?

 

って、思う方もいらっしゃるかもしれませんが

人生というものは、案外とそのようなものなのではないでしょうか?

 

ちゃんと学校に行く

ちゃんと会社に行く

ちゃんと歯を磨く

ちゃんとあいさつする

 

当たり前のことが、機嫌の良しあしに左右されることなく、当たり前に継続できることに努力する。その「努力」を「生きる」と呼んでいるのではないか?また、「当たり前」という事象をこなすことの中に「才能」や「嘘」や「美」や「執着」が、当たり前にあるんじゃないかと。

 

ですから、多くの先人たちが「まず、動け」というようなことをしつこく言っているのかもしれないですね。

 

参加者のNさんが才能について、「見つけるものではない気がする」というようにおっしゃいました。たしかに、たしかに、才能なんぞというものは、「見つける」というようなものではなく、「ただある」ようなものかもしれません。そして、その「ただある」才能が、様々な環境や経験による変化で大きくなったり小さくなったり、浅くなったり深くなったりするものかもしれない。

 

それは、「嘘」においても、「美」においても「執着」においても、同じようなことが言えるかもしれません。

 

今回のような哲学カフェを開催してみて思うことは、やっぱり「哲学は体系的に学ぶようなものではなく、ちゃんと対話の中で産み育むものなんだ」ということです。

 

デカルトが何年にこう言った。とか

カントは何年にこう言っている。とか

そういうことをいくらたくさん羅列できても、それは(お楽しみ)にはなるだろうけれど、私の個人的な人生における直接的なサポートにはならない。

 

【人生に生かすべきもの】である哲学

 

私自身は大学経験の中で、実際の人生経験の希薄な講師の言葉に(すべてがそうだとは言いません、中にはしっかりと人徳のある講師も存在しますので)すごくショックを受けたことを覚えています。【人生に生かしてこそ哲学】私は哲学に対してそのようなスタンスで向き合いたいと思っていました。だから既存の哲学を体系的に学ぶ方法に疑問を感じたのです。そうなのであれば、素直に既存の体系的な哲学の勉強とされているもののあり方に疑問を抱こう。そこからはじまった読む哲学カフェです。

 

圧倒的な自らの経験をベースに、哲学者や知識人、芸術家たちの「言葉」を通して、彼らの人生を疑似体験しつつ、自分の人生を見つめていく。

 

いやはや、哲学というものは、本当に素晴らしいな。そんな帰り道、寒かったけれど足取りは軽かった♪

 

4月29日(水)

福岡スタジオでもこのテーマで哲学カフェを開催します。

福岡近辺の方、どうぞおいでくださいね♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント: 1
  • #1

    西島  邦成 (日曜日, 26 4月 2015 19:31)

    福岡スタジオでの哲学カフェ参加希望します