第17回読む哲学カフェ・対話編「家族」を考える

故池田晶子さんの著書を読みながら

「家族」を考えた夜でした。


2015年8月15日

お盆の真っただ中に

終戦記念日と言われる日に

たまたま集った方々と「家族」を考える

意味の深いことだと思いました。




さて、今回のお題・・・実は長野マゼコゼさんで1度開催したものなのです。

でもところ変わればなんとやら、ですからねどんな展開になるのか本当に楽しみでした。

今回資料として読ませていただいたのは・・・

「14歳からの哲学」から「家族」についての項目を。


「この本を14歳で読んでおきたかった」

そんな発言が参加者の方から飛び出したのですが、この発言を聞いて、きっと池田晶子さんはにっこりと天国で微笑んでいらっしゃるような気がしました。


【死んでからでも種は芽吹く】わけです

池田さんが伝え続けたこと、しっかりと蒔かれ続けている。。


やはり、本という媒体はものすごく可能性があるんだなぁ


そしてもう1冊「人生のほんとう」から


(血縁の考え方)

(親子の不思議)

(家族という虚構)

(世間とは何か)


以上を読みました。



この本の中で、たしか20歳くらいに読んだ「甘えの構造」が挙げられていて個人的に「おぉ!」と思ったり。あまりにも久しぶりに「甘えの構造」という字面を見たのですが、あれから数十年たっているのに、けっきょくいまだに世間と格闘しているような気がします。なんだかな…でもまだ挑んでいるんだから、笑っちゃいますね。まぁそれが生きるということですね。



今回は2名の参加者の方と語り合いました。


長野でのカフェとはまた一味違いましたが、生きているって日々変化することなんだなと、最近ではこの哲学カフェが教えてくれています。いやはや納得せざるを得ない気持ちです。


普段、あまりにも当たり前に存在している家族・・・

私たちの家族は、私たちの家族ではなかったのだとしたら、それはいったい誰だったのでしょう。そして、私自身は私の家族にとって、彼らの家族でなければいったい誰だというのでしょうか?

家族ひとりひとりの個としての在り方を(家族)であるがゆえに忘れてしまうときがある。それは、多分、どんな人でも感じたことがあるはずのことでしょう。。。


「じっさい、完全な親なんか、人間の中には存在しないんだ」

と、池田さんは書いていらっしゃいます。

これは言いかえれば、完全な子どもなんか人間の中には存在しないんだ。ともいえると思います。

親も子も、そのことに気がつく瞬間がある、それを親の立場から「思春期」とか「反抗期」とか呼んで対応しているのでしょうが、そのように名づけてその期間が過ぎ去るのを待たないと親は不安でしょうがないんだなと、本を読み終えて思いました。なにしろ、完全な親など存在しないからです。


また、池田さんは「家族というものは最初の社会、他人と付き合うということを学ぶ最初の場所だ。家族の外の社会、他人と付き合うということを学ぶ最初の場所だ。家族の外の社会には、もっともっといろんな人間がいる。そういう他人とどう付き合ってゆくのかを予習するための場所なんだ」と書いてらっしゃいます。

家族を他人と定義していることに違和感を覚える方も多いと思いますが、14歳という年齢設定を考えると、家族を他人と定義することの意味の深さは理解できると思います。だいたいにおいて、哲学者の言うことは一般常識というような感覚でとらえると違和感が残るものだと思います。ですから、この本を読むときは14歳になって読んでいただけると、池田さんの伝えたいことを理解しやすいのではないかと思いますし、その理解を通じて大人の皆さんが自分を見つめることに役立つと思います。


「14歳からの哲学」という書物は、大人になって読んでみても意味はある。私はそう思いました。


さて、(家族)について、池田さんは「人生のほんとう」のなかでこのように述べていらっしゃいます。

「おそらく家族というものは、もっとも原始的な共同体ですから、そこまでさかのぼって考えると、共同体というのはおしなべて皆で生き延びていくためのシステムですから、血縁というのがもっとも結束しやすい絆、形ではあっただろうなと思います。」


血縁に結束をより強固にする力があったというよりも、血縁であることに大きな意味をもたせることで共同体の結束を強くしていったのであろうとすれば、社会保障が充実している現代社会においては、血縁にさして意味はないのかもしれないわけです。しかし、我々はやはり血のつながりに何かしらを感じているのは間違いないとも思われます。


参加者の方々とも、養子縁組がなぜ日本ではあまり進まないのかなどの話に発展しました。このようなところからも、日本社会の家族の在り方が考えられるのかもしれません。


家族ということを考える。2回目の夜に想ったことは、家族という小さな社会の中で、生きづらい人もいれば、スムーズに生きる人もいる、これはまた、大きな社会の中でも同じようなことが言えるのであって、やはり家族というものは、社会での他者との間合いの取り方を学ぶ最初の場所であるのだと言っても過言ではないだろう。

家族で傷ついたりつまずいてしまった人は、なかなか「家族」という概念を考えるときに、想いを別にして考えることは難しいのだなぁ。だから私たち人間は誰であってもこのようなテーマを探り続けるのだろうな。


次回も池田晶子さんで「常識」について考えます

9月5日(土)17:30からです。

皆様のご参加お待ちしております。