第18回読む哲学カフェ「池田晶子を読む」-人生のほんとう-より(常識・生死について)


今月は女性だけの夜でした。


もしやもしや

池田さんの御意志だったのかしら?

最後に撮らせていただいたこの写真のみなさんの表情を見た時に、そんな風にも思いました。

・処世訓より大事なこと

・常識とは何か

・当たり前を生きる強さ

・なぜ生きて死ぬのか

・存在のなぞに気づく

・見方が逆転する ・人の死は悲しいのか

・一期一会ということ ・死ぬのに死なない

・問うているのは誰か ・人生の公式

・言葉と定義 ・ライフプランという不自由

・たかが人生という覚悟 ・覚めてみる夢 ・不可思議な構造

 

以上のキーワードについて書かれている言葉を読みました。


今回のカフェでみなさんが盛り上がった話は様々にありましたが・・・

 

なかでも面白かったことは

・一般的だとされる常識

・池田さんの提言する「常なる知識」

・自分の中に植えつけられている常識

・参加している組織の中の常識

などなど【常識】といってもこんなにあったということです。

 

・一般的だとされる常識

これについては、私のピラティストレーナーという仕事の中でも向き合うことが多々あります。これはほかのお仕事であっても同じではないかと思います。

【自分以外の人が集まる場所では自分の思うとおりに好き勝手してはいけない。】

そんな風に小さなころから教えられてきましたよね。そして、それは間違いではないでしょう。自分と他者が共存するうえで、そのどちらもの安全を確保するためには、やはり必要なのだと思います。

 

ただ、哲学カフェに集う方々から出る意見としては、「暗黙の常識」がわからない読めない察することができない。。。という意見が多いです。

 

この(一般的だとされる常識)について、言語化され明確なものについてはそれを記憶し、その都度その都度どのような場面でも、記憶した常識に当てはめた行動すればよいが、言語化されていない常識という名の何かしらに遭遇し「変な人」などと揶揄されるたびに、いったいなにがいけなかったのか。。。と戸惑っていらっしゃる・・・そんなところでしょうかね。生きるってわからないこといだらけ、本当に大変です。

 

(変な人)などと言われてしまいがちな人々にとって(一般的な常識)とは、「常識」があって何かが決まる。というよりは、集合体が協調しながらなにかを行うためには(ルール)が必要になる。そうするとわざわざ法律や規則にまでしないけれども、(みんなが困ることはしない)という(一般的な常識)であれば理解できるであろうしご自身も(私を含め)対応できると思います。しかしながらそうではないから困ってしまうんでしょうね。

 

しかしながら、上記の展開を書いていてフッと思いました。

わかりやすいように私という主語で以下書きますね。

 

よくわからない(暗黙の常識)とやらは、みんなが困ることというよりも、誰かが私の言動に向き合った時に、それが理解不能な事柄であった場合にフツフツわきあがるそのひとの不安な気持ちを正当化して、不安にさせた張本人の私にぶつけるためには、(暗黙の常識)というカテゴリー名を用いれば、その人が個人的に好き勝手やわがままを言ってることにもならないし、私に対しても個人的な生き方はとやかく言わないがそれを嫌だと思っている人の前ではしてはならない、匂わせてもいけない、という暗黙の常識に違反しただけなのだ。ということで丸くおさまる。という感じでしょうか。


池田さんの提言される「常なる知識」というものは、今道友信先生の回でもでてきたキーワードでしたが、おそらくお二人も(一般的な常識)(暗黙の常識)などというものには少々お困りだったのかもしれませんね。

・池田さんの提言する「常なる知識」

おぉ!知りたい。と思われた方は、ぜひ本を読んでいただきたい。


「人生の幸福は外側に追い求めるものでは決してない。ちょっと内省してみるだけでも、こんなに面白いことがたくさん出てくるんですからね。」


と、池田さんはこの本の中で語っています。

自分で見つけるためには自分で読むしかない。

でも我々には本という形でなんらかの奇跡を手にすることができ、読むという形でなんらかの奇跡に巡り合うことができます。

・自分の中に植えつけられている常識

こちらの話も盛り上がりましたね。自分の中に植えつけられた常識。親なのか、先生なのか、上司かもう何かわからないけれど、様々なもの。

そうね、子供のころ見た漫画や小説なんかもそうでしょうし、学校教育でも同じことが言えますね。


私たちは誰かと触れ合うと変化します。人間は誰かと関わり変化し続けなければ生きられない存在なのだと、これはスピノザもそういっています。


植えつけられたものはやがて芽をだし葉を増やし花を咲かせて実をつけるのかもしれない。その実から落ちた種がまた目を出すこともあるでしょうし、ほかの存在とのかかわりによって自分の中の土壌が変化し、落ちた種から咲いた花の色が変化する可能性もある。実もまた同じでしょう。

そうであれば、受け付けられた常識というようなものに縛られ苦しんでいるというような感覚は少しおかしなことであるかもしれれません。なぜなら、最初は植えつけられたかもしれませんが、そのことによって触発されて自分が本来持っていた、もしくは持たされていたような何かが、植えつけられた常識を踏みつけにして、踏み台にして、栄養にして、個人の常識として育ってきたのかもしれないからです。

むろん、植えつけられなければなにかが違ったという話も否定できませんが、それはなにしろ現実的ではないので、人生というものを本気で考える上ではあまり有効ではないようにも思えます。

現実の人生を認識したうえで人生を考えてゆくこと、日常の自分、実際の仕事、実際の稼ぎ、リア充というような言葉も若い人の間でかわされたりしますが、リアルな視点から考えることは哲学という学問のとても有効な部分ですから、この読む哲学カフェでは今後も「リアルな視点」から様々なことを考えたり、調査したり、説明したり、表現した方々の本を読み続けたいと思いました。

池田晶子さんの本を読んでみて、共感する部分もあれば、そうでない部分もありました。

でも、それこそが哲学するにはふさわしい感覚であろうと私は思います。


100かゼロか

好きか嫌いか

賛成か反対か

人生はそんな簡単なことではない


他者の考えを認めることと100%受け入れることは別です

そしてそれは自分にも言えることです

自分を100%受け入れてくれなくてもある部分は認めてくれる人もこの世に存在するわけです


そして本を読むときに感じる

「ここはわかる、でもここは納得できない」

そんな瞬間にもそれは起きているのです


亡くなった人と会話ができる

本を読むという行為はそういう行為だと私は思っています。

来月はお休みで次回第19回は・・・


「西洋哲学史による古代哲学後期を読む夜」

参考資料:西洋哲学史 今道友信著


・実体と言われるものは何か

-アリストテレスの特色ー

・実践哲学とその学派ーヘレニズム前期

・宗教哲学と四人の学者ーヘレニズム後期


以上の項目を読みます。


11月21日(土)17:30から19:30まで

参加費:500円(1ドリンク別オーダー制)

場所:西荻窪カフェギャラリーK

西荻窪、北口から100mくらい、1階が八百屋さんのビル2階
http://tabelog.com/tokyo/A1319/A131907/13158983

【ご予約はこちらから】

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