ほんものとはなにか?「芸術を考える」—白洲正子の人生を読みながら-

 

白洲正子さんの書を

いよいよみなさんと読む

 

そんな大切な第1回目の白洲正子を読む夜は

【長野】で。。と思っていたので

マゼコゼさんという「暮らしを楽しむ」ことを店内のあちらこちらで感じることのできる図書館ギャラリーで開催できて本当によかった。その気持ちでいまもいっぱいです。

 

白洲次郎と白洲正子が移り住み、形作り、生涯を通して愛した家「武相荘」での生活を垣間見ながら本を読むなら「マゼコゼ」さんが一番と思ったわけです。

図書館・古本&ギャラリー  マゼコゼさんをご紹介

ひと・もの・こと

まぜこぜに ひびきあい つながりあう ところ

というコンセプトで長野にしっかりとした根をはるギャラリーです

長野での読む哲学カフェはこのマゼコゼさんで開催しています。

営業日:月~金  午前12時~午後6時頃まで 定休日:土曜 日曜 祝日(営業日となることがあります。)

〒380-0843 長野県長野市長門町1076-2   026-225-9380(TEL&FAX)

mail: cafe_mazekoze@yahoo.co.jp

Facebook “カフェマゼコゼ”https://www.facebook.com/mazekoze

 

白洲正子

樺山伯爵家の次女として、東京に生まれる。

幼時より能に親しみ、14歳で女性として初めて能の舞台に立つ。その後、アメリカのハートリッジ・スクールに留学。帰国後まもなく次郎と結婚する。

 

 

社寺であれば本殿、仏閣のさらに奥に、 何かあるはずだと、藪をかきわけ、道なき道をたどらずにはいられない正子さん。

 

八十になんなんとしてなお、能楽師・友枝喜久夫の「おっかけ」と称して、九州まで追って行き、ほしい骨董はないかと眼を 光らす。 その生涯は、最期まで「真剣勝負」だった。

 

そんな正子さんの言葉は、想像通り強かったし、「韋駄天お正」と言われたことも頷ける。

 

今月は「白洲正子」さんをテーマにしたからでしょうか、参加の方がたくさんで賑やかな時間となりました。

 

正子さんもここにいらして、きっとみんなの話を聞いていたのではないかと思いました。それくらい、みんなで正子さんの生き方に、笑わされ、感心させられ、驚かされました。

 

白洲次郎さんの大ファンの方もいらして、少し浮きだった喜ばしい感覚も行きかいました♪こういう交流も読む哲学ならではではないでしょうか!嬉しい!

ご参加いただいた皆様、どうもありがとうございました。

ぜひ、これからも、思い出されたらば、白洲正子さんの著書を手に取ってみてくださいね。

さて、カフェの様子ですが、今回は白洲正子さんの生き方を垣間見て、彼女の言葉に触れながら、「ほんもの」ということを軸に、暮らし方、芸術、そして、生き方にまでその考えを広げながら探るということをしていきました。

 

まずは、彼女の語るアイデンティティについて、かなりみんなで探ることになりました。

いやぁ、そもそも英語を日本語の概念がうずまく頭で探るわけですから、かなり難航しました(笑)でも、それが、考えることの楽しみ!なんだとも、しみじみ。

 

 

また、男性同士での「つきあい」と、そこに女性が加わること、もしくは、女性が中心となった「つきあい」の違いについての意見がでましたが、人間関係において、やはり性別の違い、言い換えると、ホルモンバランスの違いと言いましょうか、悲しいかな、やはりそういうものによって我々の思考や志向はかなり左右されますので、なるほどと思うことしきりでした。ですから、「かんけい」というものの全体のバランスを考えますと、性における急激な変容を抱える現代社会においては、これまでの「あたりまえ」は、もしかしたら通用しないこともあるのかもしれないなぁと。

 

たとえば、「愛」のような古くからある情の関係だけではなく、幅広く「生きる」上での様々な関係において、100年前までの「性」に対する感覚とはかなり違いがある。

 

 

だからこそ、古い本を、古い哲学の言葉を読み返すことは、とても大切だと思わざるを得ない。

 

なぜならば、多様で多種の情報があふれる現代社会では、その根源になることに集中しにくく、その根源になるところから逸脱しやすい。情報も少なく、領土も狭く、人口も少なかった時代の書は、その根源に集中しやすく、その根源から逸脱しにくい。ということも言えると思うからです。

 

人間は、ひとりで考えているときには、誰かの存在がそこに余りありませんので、自分に素直に突き詰めていくんですが、それは決して悪いことではないけれど、こうやって、みんなの前で意見を言ったり聞いたりするという時には、誰かの存在というフィルターを通して考えたり話したりするので、自分でもたまに、「あぁ!私はこう思っていたのか!」などと気づいたりもしますから、みんなで考えるというのは、大切なことだと思います。

 

 

今回は、白洲正子さんの言葉を頼りに「ほんもの」を考えました。

 

 

 

「ほんもの」それは正解ということでもなく、正義とうものでもない、決まりでもないし、少ないものということでもない。

 

「ほんもの」はそこかしこにあるのに、なぜか、なかなか見つからないもの。

 

誰かの「ほんもの」と、自分の「ほんもの」は違う場合もあるけれど、事と場合によっては折り合いをつけたところの「だいだいほんもの」をみんなで見つけることも大切なこと。

 

しかしながら、それはあくまでも、「だいたいほんもの」なのであって、決して「ほんもの」ではないのであるから、自分にとっての「ほんもの」を見つけ出すためには、長い時間とたくさんの失敗がかかるわけである。

 

 

参加者の皆さんの感想を聞きながら、本当に人は素晴らしい考えのもとに生きているんだなぁと、いつもいつも思います。しかしながら、その素晴らしい考えも、自分一人で廻らしているともったいない。みんなに聞いてもらった方がいいし、みんなの考えも聞いた方がなおいい。

 

回を重ねるごとに、自分の哲学カフェが自分のせざるを得ない方向に進んでいく、そのことを感じた「ほんもの」の回だったと思えました。

 

 

次回の長野読む哲学カフェは

4月11日(月)14時からとなります

場所:マゼコゼさん

参加費:500円(場所代が別途かかります。1ドリンク付きです)

テーマはまだ未定ですので告知をお待ちくださいね。