第22回「池田晶子を読む夜」-愛について考える-

ご参加ありがとうございました。

 

2016年2月27日(土)17:30~19:30

「池田晶子を読む夜」-愛について考える-

 

読む本:「知ることより考えること」より

    ないものは愛せない・愛し方がわからない 

 

    「人生のほんとう」より

    愛と孤独

愛にも種類がある

 

欲望も愛と呼べるかもしれない

 

無関心ではない状態を愛と呼ぶのでは?

 

そもそも、愛を考える必要はどこにあるのか?

 

単純に相手を幸福にしたいという気持ちのことでは?

 

折り合いをつけるということかもしれない

 

 

などなど

様々な「考え」の小さな交差が

一つのテーブルを囲んで交わされました

 

ご参加いただいたみなさん

本当にどうもありがとうございました。

 

回を重ねながら

参加者の皆さんの考えを

少しずつではあるけれども

真直ぐ引出しつつ

真直ぐ落とし込んでいきたい

いつもいつも反省しながらの帰り道

それでも「考える人」たちとの

ささやかなこの時間は何ものにも代えがたい瞬間です

愛することと、愛さないこと

 

愛を持つことと、愛を持たないこと

 

なぜだろう、愛というものは、自分で選べるような気がするものである

 

誰かへの愛、自分への愛

事柄への愛、時代への愛

愛の種類は、いくらでも作れるような気がするけれど

さて、この「愛」と読んでいるモノそのものとはいったいなんであろうか?

 

今回は、そこへ焦点を当てたかったのですが

なかなかに、そこへ焦点を当てるのは難しかったです

それくらい、我々は、広義的な概念を・・・

「愛」という言葉に持っているのだなぁと思いました。

 

しかしながら、我々が持ち合わせている共通概念として確認し合える、広義の意味においての「愛」というものは、小さなころから、家庭や学校で誰かに教えられたモノであることは事実であろう。

 

私的には、そのような広義的な「愛」ではなく、「愛」の底にある源のようなものを見つけ出せたらと思ったのだけれど、参加者のお力をお借りしても、いやはや、なかなかに難しかった。

 

 

そもそも、愛とはなんであるか?

 

ということを考えるには、私たちは、おそらく、未熟なのである。

 

 

ですから、やはり、愛と思うものを書き出したり、その間と思っているものの必要性などを考えることによって、そこに現れる共通性から根源に近づいた方がいいのかもしれないなぁと、今回の回でしみじみ感じました。

 

 

そして、自分が次世代の生命に「愛」を教えるとしたら、いったい何だと教えるのか、どうやって伝えるのか、そういうことから考えていくことも必要であると思われる。

 

なぜかといえば、「愛」というような概念は、生きていくうえでの経験から、「こう伝えたらいいだろう」とか、「こう感じてほしい」とか、強く心に想うようなことなのであって、生まれたばかりの赤ん坊のように、ただ呼吸して排泄して乳を飲み眠るだけの状態では、「愛」などを伝えようと心に強く思うことはないだろうと思われるからである。

 

ところが、少しずつ目が見えるようになり、親の見分けがつき、人間は徐々に自分の欲求を誰かに伝えたくなるわけである。しかも生命にかかわるのでその欲求は非常に強いのである。であるとすれば、自分の生命維持における他者への欲求こそが愛かもしれない。しかも、この時の欲求は「生命維持」そのものであって、特定の事柄や言葉ではないのであるから、根底にあった生命維持のための欲求であるところの「愛」は、長い人生の中で様々な事柄や物や想いや言葉に姿を変えていったのであろう。

 

ただただ、その根源的な「愛」であると思われる「愛」は、どう考えても生きる上では非常に重要なものだともいえるなぁと。

 

 

「愛」に焦点を当てるのが難しいのは当然のことだな。

 

今回も、池田晶子さんの言葉に考えることを余儀なくされた夜でありました。

 

 

 

 

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    通りすがりのプラトン主義者 (木曜日, 03 3月 2016 01:56)

    こんばんわ。
    僅か数名の間ですら「愛」という言葉の定義に合意できない光景。定義なしに感覚(ドクサ)で使ってる事に驚かされるあの一時こそ哲学の困難であり醍醐味なんでしょう。
    やはり、「言葉(ロゴス)」というのは本当に難しいものであり偉大なものだと感じました。「言葉」を「正しく」使うことの、何たる困難ことか!
    「ロゴスは神であった」とは全く至言です。
    またぜひ出席したいです。

  • #2

    とっこ (金曜日, 04 3月 2016 10:26)

    プラトン主義者さん
    先日は、ご参加いただきありがとうございました!
    そして、貴重なご意見も本当にありがとうございました。
    哲学は一人でできるようでありながら、実は他者との関わりの中においてこそ、その本来持った可能性が広がっていくのだというようなことも、哲学カフェを開催してみて感じているところであります。出会いに感謝です。またぜひ「考えること」を一緒に楽しみましょう!