第25回「菅原道真の人生を通して考える夜」

哲学が好きな方は

歴史が好きな方が多いですよね

 

実は私は福岡出身なので、遠足などで太宰府天満宮によく行きました。

そんなわけで、菅原道真公は、かなり近い存在ですが、東京の皆さんはいかがでしたでしょうか?

彼の人生をたどりながら。。。

 

・歴史とは何か

・学問とは何か

・政治とは何か

 

うっすらとではあるけれど、そのような事柄に想いをつなげていけたように感じました。

 

ご参加いただいた皆様

不思議な縁あっての集いであります。

 

これももしかしたら、道真公ゆかりの何かしらの御縁かもしれませんね。

 

ご参加ありがとうございました。

 

【菅原道真公の人生】

菅原道真公は、承和12年(845年)に菅原是善(すがはらこれよし)34歳の子として誕生されました。(6月25日と伝えられるが定かではない。)

貞観 元年(859年)15歳で、元服。文章生を目指して勉学した

 

貞観 4年(862年)文章生となる。(定員20名

貞観 9年(867年)文章得業生(文章生の中より才学抜群の者2名)

貞観12年(870年)方略試に合格。(中上の成績で及第)

 

貞観19年(877年)式部少輔に任ぜられる。同年改元(元慶元年)文章博士を兼務。

元慶 4年(880年)父・是善没。

仁和 2年(886年)讃岐守となり任地に着く。道真42才

寛平 2年(890年)讃岐守の任を終え帰京。その後、病気療養に努める。

寛平 4年(892年)『類聚国史』を編纂。

寛平 6年(894年)遣唐使に任命させしが、自ら遣唐使の停止を奏上。

寛平 9年(897年)藤原時平、大納言・左大将。道真、権大納言・右大将。

昌泰4年(901年)正月25日。突如として大宰権帥に左遷されることになる。

延喜元年(901年)2月1日京を発ちて太宰府に下向す。

延喜 3年(903年)2月25日薨去。

(太宰府天満宮HPより引用)

みなさんと歴史を辿ってみて思ったことがありました。

「歴史というものは不思議なものである。」ということです。

 

歴史って、客観的に辿ってみると、いろんなものが見えてくるものなのでありました。みんなで辿るって大事なんですね、特に歴史においては。

 

何にでも反発しよう!論破しよう!という気構えで歴史に向き合うとすごくつまらないんだなぁということも、しみじみ。

今回、参加してくださった方々は、そのことをじゅうぶんに心得ていらっしゃる方々でしたので、皆さんそれぞれの立場や思想で「ほほぅ」と楽しんでいらっしゃったご様子でした。そんな皆さんの意見を聞きながら今回も深く学ばせていただいたのであります。

 

やはり、歴史を辿るときには、その人にある程度の敬意をもって読むことは大切です。いやいや、これは「何でも信じろよ」と言っているのではありません。逆に、「何でもかんでも信じるのは危険ですよ」ということを言っていることになるかもしれません。

しかしながら、いちいち疑っていると、いちいち反発していると、歴史を辿るのはとても面倒くさいものになります。なので、いったん、「そうだったんだろうな。」というくらいの気持ちで読んだ方がいいなと。

 

そのような気持ちでいようと心しながら進めていくと、菅原道真公はついには神様にまでなったお方ではあるけれど、その人生をたどっていけば、とても人間臭い部分が見えてきました。

 

そりゃそうですよね、道真公は人間だったんです。間違いなく生きていたんです。あの大宰府や都府楼の街を我々のように、背骨を立て、骨盤を微妙に揺らしながら、二足歩行で歩いていたんです。このことは疑いようがない。でも、このような疑いようがないものを共通認識として確認しながら歴史を辿っても、そうなんです、面倒くさくって読む気がしなくなる(笑)これが歴史だなぁと。。。ハハハ。

 

どのような人間であっても、自分の内側からしか歴史を垣間見ることはできないように感じました。これは歴史のみならず、世界情勢やその他の諸々のものを見るときにも同じことが言えると思います。

 

人は自分が経験したことでしか、人は自分が理解していることでしか、なにかを計ったり、判別したり、見極めたりできないものです。これは万人に平等に与えられた能力ともいえるかと思います。

 

なぜ、道真公はそう生きたのか?

 

その疑問に浮かぶ答えは、実は自分自身の答えなのである。

 

道真公に導かれ、自分の内側を辿ったような、そのような夜でした。

 

 

次回は6月18日ブッダの言葉を読む夜です。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    通りすがりのプラトン主義者 (火曜日, 21 6月 2016 01:43)

    こんばんは。
    道真公のような人生を思うと、学問(哲学)と政治の緊張というのをいつも考えさせられます。西洋史における教会や王権と哲学・科学の緊張関係の様な。
    学問は理想や真理を扱う以上、現実と対決的にならざるを得ませんからね。哲学は現実利益の奉仕者でありませんから。
    哲学・学問をやる以上は、その覚悟・気概が必要になるのではないか?
    ナチスを持ち出すまでもなく、現代日本でも、大学が就職予備校化し大学が官僚の天下り先になってる現状は、哲学・学問にとって、どういう危難をもたらすか?道真公ではありませんが、真に学問されている方々が追放されてしまわないのか、不安になる一夜でした。

  • #2

    小西とっこ (水曜日, 22 6月 2016 09:10)

    思慮深いコメントありがとうございます。「真に学問されている方々が追放されてしまわないのか、不安になる一夜でした。」このようなことを繰り返して私たちは生きている。そのような気もいたしますが、逆に、このような状況が少なからずあることで、真の学問を意識し始める人もいるのではないかとも思えます。人間はなかなかにしぶとい(笑)真なる学問が消えてしまうことへの不安を抱えている人がいるならば、必ず解決策は出てくるだろうと思えるのです。きっと未来は明るい。