第12回長野マゼコゼ読む哲学カフェ「池田晶子著 考える人(日本の考える人 考えなくても同じこと)を考える」

長野図書館ギャラリーマゼコゼさんでの哲学カフェも、もう12回目となりました。

 

コツコツと継続することの楽しさ。人の集うことの楽しさ。違う意見を交換し合うことの楽しさ。重ねた分だけつみあがっている気がいたします。

 

ご参加の皆様、どうもありがとうございました。そして、佳い意見をありがとうございました。

今回、取り扱う頁の出演者でもある「西田幾多郎さん」のプロフィールを簡単にご紹介しながら、池田晶子さんの紹介もいたしました。そして、参加者の皆さんの自己紹介も。

 

「要はその人がどこまで果てまで考え抜いたか、それだけだ。」

と、池田晶子さんは語っています。

 

私的には、このような人を哲学者だと彼女は認識しているのだろうなと思うんですが、果てまで考え抜くなどと、何処の誰ができたのか?という疑問がわきあがってきます。なぜかといえば、その果てを見た人に会ったことがないからです。カントにせよ、ヘーゲルにせよ、アリストテレスにせよ、ほんとうに彼らは、「哲学者」と自負できるほどに、果てるまで考え切ったのでありましょうか?

 

そんなことを胸に抱きつつ、私はみなさんのご意見を聞きました。

 

西田幾多郎も、池田晶子もしらない、そんな方々の意見の中に、逆に西田哲学や池田哲学を純粋に読み解くヒントが散りばめられている。これが素直な私の感想です。

 

皆さんの人生におきた様々な事象に置き換えて考えながら感じたことを一生懸命に伝えようとお話し下さるので、聞いている側の皆さんも必死に自分の人生に起きた経験にある感覚にあてはめて聞こうとする。

このような、伝える必死さと、聞く必死さが、交わる時間の経過とともに、誰かが何を言っているかよりも、なぜこのように言っているのか、という深い思慮に私たちを運ぶものなのだと実感しました。

 

「善の研究」において、西田幾多郎はすべてわかっていた。と、池田さんはおっしゃいます。そして、全部わかっているにもかかわらず、それでも書き続ける持続力を「偉いなぁ」とも書いている。

 

繰り返し、繰り返し、もう自分にはわかりきっていることを、ともかく繰り返し説明していこうとするこの継続力・持続力は、ある種、母の愛にも似ていると、私は思いました。あぁ、西田幾多郎博士は男性なので父の愛でも良いですね。8人いたお子さんを7人まで亡くされた西田博士の個人的な悲哀も大きく関与している気もします。

 

自分にはもうわかっていることを、繰り返し丁寧に伝えることで、実は、我々は自分の人生を丁寧に生きる術を鍛錬し続けられる。ですから、やはり西田博士も、このようなことを継続しているあたりで、考え抜いたその果てを見たかったのだろうなぁとも思うわけです。博士は果てを見たのでしょうか?今となってはわかりません。想像するしかない。

 

「つまり誰でも生きるのは初めてなのである」

 

この本の中で池田晶子さんはこう語ります。

 

いや、これはなかなか、味わい深い言葉ですよ。

 

そんな風に、なかなか思えないのが現実ではないでしょうか?わかってはいるけれど、初めてのことに着手する用心深さを持って80年余りもを生き続けるというのはとても大変ですから。

 

毎日、生まれて初めての1日が来る。

でも、これは絶対的な事実です。

 

会の後半、このような絶対的な宿命のような「毎日生まれたて」とでもいいましょうか、そのような生命システムというようなものを、体内に抱えて生まれてきた私たちにまで話は及びました。

 

私たちの身体にある細胞です。いや、細胞の中に私たちがいるのかもしれない。これは、もうどっちがどっちかわからない。

 

人間を形成するところの細胞は人が発見しているものだけではないでしょうし、私たちが知りもしない細胞だってあるかもしれないわけです。

 

私が考えているのか、細胞に考えさせられているのか?

 

そのようなところにまで話は続きました。答えは出ませんでしたが、この問いが出たことだけでも、今回のカフェの意味は十分にあったと思います。

 

 

毎日生まれたての私たちなのだから、現在残っている書物などは「残骸」に過ぎないかもしれないのだと池田さんは語ります。本当に素晴らしい哲学王はもしかしたら、何も書を残さなかったその辺で生き方を説いて歩く嫌われ者の年寄だったかもしれません。誰かのおばあさんかもしれないし、誰かの奥さんかもしれないわけです。

 

現在残っているものの中に、残らなかった哲人を語る池田さん。逆説的ですが納得しないわけにいかない部分もある。

 

「自ら考えて討ち死にしなさい。病と心中してみせなさい。それだけの覚悟がないのなら、ぐずぐず悩まず、つべこべ言わず、哲学など徹底的に無視しましょう。」

哲学を、もはや病ととらえるあたり、さすがだなと思わざるを得ない。

 

池田さんの言葉を最後にご紹介してこのブログを終わります。

 

「あとは各自でよろしくやってください」