第28回 「池田晶子著 考える人(日本の考える人 考えなくても同じこと)を考える夜」

 

長野でも開催しました

日本の考える人を考える

西田幾多郎先生

そして、鈴木大拙先生を

池田流にプレゼンしてもらうという

そんな夜を女子だけで楽しみました。

 

ご参加いただいた女子たちよ

どうもありがとうございました。

 

【長野での開催時のブログはここから読めます】

 

今回の資料の最後の最後の池田さんの言葉である

「あとは各自でよろしくやってください」

そこからスタートしました。

 

コツコツ参加してくれているNさんが

「今回が一番哲学した気がしました」と言ってくださいました。

 

池田先生、聞いてますか?

プラトンよ聞いてくれてますか?

 

正直そういう気持ち(笑)

 

哲学というものを学術的な場所から遠いところで

なんとなく認識していた人々に

「あら、私のやっていたことは哲学なのでは?」と気づいてもらいたい

そんな気持ちで細々ですが継続している(読む哲学カフェ)

 

エライ先生も来ません

エラそうな資料も配りません

ありがたい専門用語も最少ですが

 

笑いと、思いやりと、真剣さは在る。

 

エライ先生は来ない

だけど、ちゃんと先人の言葉を読む

 

エラそうな資料は配らない

だけど、ちゃんと先人の言葉を読む

 

池田晶子女史の書物には、かなり支えられてきたかもしれないなぁと

28回目にして、しみじみ感じています。

このことは、年内しっかり感覚しつつ来季の読む哲学カフェのさらなる変化につなげていきたいとも思うところです。

 

 

で、会の様子です

はじめましての方もいらしたのですが

「会員になりたいのですが」と質問いただきまして

いつも参加してくれるNさんが

「そういうのあったんですか?」と。。。

 

はい、ありました(笑)

 

すごく小さく記載しています。。

ー会員募集ー

読むテツだけではなく、今後、会員同士の交流会や臨時哲学カフェにご参加いただける会員様を募集しています。お気軽にお問い合わせください。【問い合わせ】

 

いやぁ、この数行を見つけてくださってありがたい限りでした。。

 

で、さっそく会員になります!と、Nさんも一緒にご希望いただきましたので、一気に会員が2名に♪年内に交流会を行いたいと思っていますので。。。

 

ここでこっそり募集(笑)

 

読む哲学カフェ会員募集♪

 

【会員の方へのお願い】

・出来うる限り毎回参加をお願いします

・SNSなどを利用しているは読む哲学カフェ告知のお手伝いをお願いします

・オフ会・交流会・特別哲学カフェ会などの企画運営のサポート

・笑顔と思いやりをもって参加していただけること

 

会費はかかりませんが、以上のようなことをサポートしていただくことになります。

 

 

さて、本会の方へと話を移します。

 

前回、長野でも感じましたが、西洋哲学を客観的にみる上で、「禅的な思想」は有意義であったのであろうということ、さらに感じました。

また、それは逆からも言えると思います。

日本人が、日本の考えるということを客観的にみるといいますか、外側から見るうえで、西洋哲学はとても役に立つということ。

 

しかしながら、西洋哲学と東洋哲学においては、何かが違う。。

 

その疑問がうまく説明できずにいましたが、今回、なんとなく、ぼんやりとですが言葉にできそうです。

 

日本人であるところの私は、喜ぼうが悲しもうが、どうしても日本人です。

で、この日本人であるところの私が、西洋哲学と向き合った時に、何が起こるかと言いますと。。わかるわからないの前に、「ほほぅ!」と感心したり、「へぇ!」と驚いたり、笑ったり、喜んだりしてしまうわけです。

 

で、その様々な感覚を、まわりまわって、日本人であるところの自分の真ん中に落とし込もうとする。どうやらそのようなクセが強い気がします(笑)

ここで、あとから考えてみて驚きますが、その落とし込むときに、真ん中に入りきらないものは、ぱん!と切って捨ててしまうようなのです。

捨ててしまうこととか、切ってしまうことに驚いているのではなく、それをその瞬間は何とも思わず瞬時に行っていることそのものに驚いてしまうわけです。

 

これが、日本人としての私の考える癖、いいかえると基軸となる部分かなぁと。

 

 

で、ポンと切ってしまったことを、なぜそうしたのか?と考えてみると、その瞬間は「当たり前にそう思ってそうしている。」としか言いようがない感覚です。

 

いいね!それ!と思うと瞬時に受け入れる

そして、いつの間にか、それそのもの元来の背景や思想とは全く無縁に

その行事だけを進化させたりするよねと。。。。

ハロウィンやクリスマスなどの行事を例にして、みんなで話しました。

 

 

もうその、もともとはなんだったのか。。。

その行事をみんなで楽しむ!ということの方に重きを置いて

日本人であるところの我々は、さらに大勢がいかに楽しめるか!

というところへと物事を進化(変化)させていく

そのためには、五月蠅い思想や歴史背景なんぞ蹴散らかしてしまう

ポンといさぎよく断ち切ってイベントとして楽しむ

そんなところがあるのでしょう

 

これ、本文で、池田先生が某教授の哲学史本についてのべるところにつながります

 

学術的に体系的に哲学をやりますと

何年にだれがどうしたか、そこばかりが問われてしまっていて

「で、だから、どうなんです?」というところは書かれていない

それでも、みんなありがたがってそれを繰り返す

そのような哲学のありかたに「ぶぅぶぅ」と嫌味を書いておられるんですが。。。

 

 

これ、まさに、大勢で楽しめるイベントにしていっちゃう

日本人特有の癖が生き生きと出ている部分だなぁと(笑)

 

だって、何年に誰が何という論を展開した

それを何年に何々派が論破した。。。云々。。。

 

ココだけを、いかに覚えるか!

 

だと、「試験」という大勢で楽しめるイベントにはもってこいですからね

 

いや、もちろん、大事なんですよ。絶対に大事なことであるのは間違いないとも思いますが、私自身もこれでは哲学大会というイベントではないか!と思うひとりなので。。。はい。

 

 

池田晶子女史の「考える人」という書物は

様々な哲学者の哲学に対する女子の考えを読むことができる1冊です

まずはこれをお読みになって、偉い先生の書かれた哲学入門書を読んでいただいた方が

長く長く哲学に興味を抱き続けていただけると思うので取り上げた夜でした。

 

 

次回はプラトンです

ぜひご参加くださいませ。

2016年9月10日(土)17:30~19:30

「死後の裁きとあの世の物語を読む夜」

プラトン著 パイドンから (四 神話)(五 終曲)を読みます。

ソクラテスの謎めいた人間性を探ってまいりましょう。プラトンを読んだことがない方でも十分に楽しめますのでお気軽にご参加ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    通りすがりのプラトン主義者 (木曜日, 01 9月 2016 23:13)

    哲学することと、哲学史研究は全く別物なんですよね~。
    平凡な農民に、プラトン『国家』を読ませてみたら、「こんなのワシがいつも、考えてた事じゃ」との感想。
    でも、哲学史を学ぶ利点もあるもので。何の本か失念しましたが、全く教育を受けない男性が、独力で、生涯かけて、老いて死ぬ間際に二次方程式の解法に辿り着いて死ぬ。そんな才能があったら、ちゃんと教育を受けてたら、どれ程の数学的偉業を遺せたか!
    …先人の古典を読める、哲学史を学べるというのは、本当に行幸です。ありがとう岩波文庫!
    まあ、ともあれ、自分で考えることと、その道標としての哲学史。要はバランスですかな(笑)
    PS 会員募集は気付かない(笑)

  • #2

    Tocco (日曜日, 04 9月 2016 08:33)

    通りすがりのプラトン主義者さん
    コメントをありがとうございます。
    そっか、会員募集気がつきませんよね(笑)
    ご興味があったらぜひどうぞ♪野外活動なども考え中です(笑)

    「自分で考えることの道標としての哲学史」善い言葉ですね。

    プラトンにせよ、ソクラテスにせよ、「ワシの考えを残すぞ!これが哲学なんじゃ!」とか思ってもいなかったはず。だからこそ、あんなに生き生きと哲学で来たんではないかとさえ思えます。
    私たちのようなちっぽけな人間の人生史も、誰かの「考える」ことの道標になるのかもしれない。そう考えると、生きるって覚悟がいることだなと、改めて思いました。