第31回「絵説き:ソクラテス」~崇高なるソクラテスの死~

第31回読む哲学カフェにご参加のみなさま、どうもありがとうございました。

 

2016年11月5日(土)17:30~19:30

第31回「絵説き:ソクラテス」

~崇高なるソクラテスの死~

文:ジャン・ポール・モンジャン  絵:ヤン・ル=ブラ

 

絵説きで見るソクラテスの死。視覚から入る感覚でソクラテスを楽しむ夜でした。

今回も、みなさんの「考え」に触れられた。

その手ごたえを、しみじみと感じる夜でした。

 

池田晶子著の2001年哲学の旅を用いてご紹介した資料にある言葉が、私の胸に引っかかっていたので、もう一度ここで触れます。

 

「後世がそれを(ソクラテス)と呼ぶ、そのソクラテスは、ほとんどがプラトンの筆による。クセノポンによるそれは、哲学的著作ではなく言行録に近いので、(ソクラテス)とは、つまり(プラトンの)ソクラテスなのである。」

 

 

なぁんだ、ではソクラテスの人生はプラトンによる虚構ではないのかしら。

そう思われても当然なのであります。

なにしろ、ソクラテス自身が何も書き残していないわけですから。

 

しかしながら、そこにこだわっていては、ここに書かれた貴重な「考えの種」が芽吹かない。信仰するのとは全く違うのですが、ここはもう、一つの絵本を読み聞かせしてもらうような気持で、落語を1席聞いているような気持で、ソクラテスの人生に起きた出来事を心に落とし込んでいったらどうかしら。

 

そこで、今回の【絵解き:ソクラテス】の会を企画しました。

 

ソクラテスの弁明を読んだことがない。という参加者も数名いらっしゃいました。

こういう方がいらっしゃるのは願ったりかなったりでございます。違う視点からの意見が出ますからね、私は「哲学なんぞと縁がなかった」という人の意見をいつも楽しみにしています。

 

ソクラテスとはいったい誰なのか?

 

これだけ名前が世界中に轟き倒している有名人ですから、いろんな研究者の、いろんなマニアの、想いを抱えてソクラテス号はひた走っているわけですものね。

もう、もはや、本人がここにいたら、それ誰のお話?って思うこともあるかもしれません。

 

でも、それでいいのだと思うんです。

個々には素晴らしい考えの種がありますからね。

 

「ソクラテスとはいったい誰なのか?」

そのような疑問は、そのまんま

「そもそも、私とはいったい誰なのか?」

というような疑問につながることだと思うからです。

 

ソクラテスの人生そのものが、プラトンによる虚構であるかもしれないように

私の人生も、あなたの人生も、そもそもが(誰かによる虚構)かもしれないんですから。

 

会の中で、前半は皆さん多少考えていらっしゃいましたが、後半は活発に意見が飛び交い良かったなぁと思いました。

 

哲学ですので、答えはありません。

我々は生きている間中考えるしかないわけです。

「生きることは考えること」「考えることは生きることそのもの」

ソクラテスに触れる度に、その覚悟を持ちなさいと言われている気がします。

 

ソクラテスの最後の際に言葉を今一度味わってみます

 

「もう終わりにしよう、時間だからね。僕はこれから死ぬために、諸君はこれから生きるために。しかし、われわれの行く手に待っているものは、どちらがよいのか誰にもはっきりわからないのだ。神でなければ」

 

当時のギリシャ人のソクラテスはそう皆に伝えた。

伝えたということは、皆がそこで迷ったり至らなかったからだということでしょうから

当時のギリシャ人の往生際の悪さを思うと、ソクラテスの気持ちが少し理解できるわけです。死ぬ間際までご苦労様でしたって。

 

現代社会の日本人の私は、不思議なことに中学生くらいでこのことが理解できた。といいますか、すごく当たり前なこととして何の違和感もなく腑に落とし込めた。

 

なぜだろう?なぜかしら?

 

「何が正解かは神様しか知らない」っていう感覚は当たり前にあった。

 

だから、思春期の私は、そのことを正々堂々と書物に書いてくれたプラトンに感激したものでした。

 

あらためて、少女のころを思い出しながら、皆さんの貴重な意見を聞けて夜でした。

 

本当に哲学って最高!

 

 

次回は、2016年12月17日(土)17:30~19:30まで

第32回「思想に強くなることを考える夜」

 

田中美知太郎著 ~思想に強くなること~より(思想につよくなること)を読みながら、田中美知太郎という大きな哲学者のこと、そもそも思想とななにか?などについてを考えたいと思います。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    通りすがりのプラトン主義者 (木曜日, 01 12月 2016 01:06)

    こんばんは、マニアです(笑)。
    ソクラテス自身が謎そのものみたいなもので、彼を巡る議論は百家争鳴。
    しかし、その謎そのものみたいな人を処刑してしまった訳ですよね。
    会の中での意見であったように、ソクラテス自身にとっては、処刑は最大の関心事ではなかったかも知れないが、プラトン以下残された人々にとってはそうはいかない。
    ソクラテス裁判は、哲学と世間(生活、利益、権威、権力、国家など諸々)の緊張関係の最高点だった。そこで死刑判決を下した事は後世に消せない禍根を残した。
    「しかしね(中略)、それだけでは、最大のことを成し遂げたと言うわけにもいかない。彼の住む国家のあり方が、自分の素質にぴったりと適合したものでないならばね。なぜなら、そのようにぴったりと適合した国家においてこそ、彼自身ももっと成長するだろうし、個人的なものとともに、公共の事柄をも、安全に救うことになるだろうから」(プラトン『国家』)
    哲学はそれ自体で完結したとしても、人は社会・国家の中で生きるので、それを無視しえないし、他方の世間も放置しない(大概は脅威として)。
    哲学をやる上で、社会・国家を無視する事は片手落ちになりかねない。
    よく想像するのですが、もしあそこで、ソクラテスが無罪判決だったならば、後の歴史は全く違うものだったではないか。と…。

  • #2

    とっこ (土曜日, 03 12月 2016 20:44)

    コメント、ありがとうざいます♪

    「もしあそこで、ソクラテスが無罪判決だったならば、後の歴史は全く違うものだったではないか。と…。」

    これは、これは、ここを膨らませていけば、とんでもない世界が広がりますね、きっと。
    でも、こういうことは考えるに値することだと思ったりもします。
    ぜひ、機会があれば一緒に考えましょう。よろしくお願いします。

    そして、私たちが考えているその瞬間にこそ、ソクラテスは其処に存在しているのだろうから。