第15回:思想に強くなることを考える午後

2016年度も最後となった

図書館ギャラリーマゼコゼさんで開催している(読む哲学カフェ)

 

今年の最後の哲学は。。。

 

田中美知太郎先生の著書

思想に強くなることより

そのものずばり。。

思想に強くなること、の章を読み考えました。

 

ご参加いただいたのは

舞踏家であり役者でもあるキムGと

下北で劇団を営む晴美ちゃん

そして、不便な便利屋ニッシー♪

参加者の個性が強すぎましたが(笑)

そんなことには動じない。。。

 

さすがの田中美知太郎節はキレッキレでした。

 

さて、今回のテーマを読みながら、私が思ったことといえば、この文章が書かれたころから、はや40年ほどたっているのに、たいして人間は変化しておらず、相変わらず試行錯誤し四苦八苦しているではないですか。ということでした。

 

これは、もしかしたら、田中先生も、古代ギリシャ時代から、さして変わらない人間の性のような、本質のようなものを感じていらしたのかもと思います。

 

西洋も東洋も関係ない、人間という存在がもちうる本質の中に、争ってでも何かを手に入れたくなる欲望や、他者を出し抜きたくなる欲望なんかが、時代を超えて存在し続けている。

 

でも、これらの欲望をなんとか超えていこう!と思う人間たちは、宗教を生んだり、哲学を生んだり、科学を生み出しながら、いつもいつもその場所で戦って踏ん張っているという事実もある。

 

「なぜ、こんなことに」

 

というシンプルな問いかけの中に

 

・不安に対する恐怖感

 

というものをすごく感じるし、そこに行きつくのですが

 

人間というものは「不安」をすごく嫌がるんですよね、きっと。。

 

で、不安を取り除きたい

不安を避けたい

不安を払しょくしたい

 

だから。。。

 

すべて知っていたい

すべて思ったとおりであってほしい

 

その願いが度を越えていけば

 

すべて私たちが決める

元来、私たちが最初の人間なのだから

 

というような狂気的な感覚に発展していく気がします

 

 

参加の皆さん、「ものさし」の話題が膨らみましたよ

 

自分の物差しがないと

何も図れないね。。。

 

なんて、しみじみ考えちゃいましたね

 

どんなに小さな物差しでもいいから持ってないと

自分の判断が自分でできなくなっちゃいますもの

 

自分の判断基準が明確でないと

田中先生のいうところの「大きな旗になびく人間」となってしまうかもしれないね

そんな話をしました

 

古い本を読む人が少なくなってきた時代です

でも、人間は古代からいつも同じことを迷い続け考え続け

超えていこうと踏ん張っているわけです

 

思想を強くするということは

他者を負かしたり、ぎゃふんといわせたりすることではなく

自分のために必要なことなのだと思った午後でした

 

 

このテーマは17日にも西荻窪の読む哲学カフェで扱いますので

東京のメンバーでどのように内容が動いていくかとても楽しみです