第33回「粗忽長屋」で考える~私とは何か?~

 

  古典落語の「粗忽長屋」の噺を通して

(主観)や(客観)や(自己喪失)などについても
考えを深めながら(私)という存在を考えたいということで

参加者の皆さんと宅後に挑んだ夜でした

 

今回、教材として使用させていただいたのは(ちくま文庫)さんの小さん集です。

 

 

柳家小さんさんは、35歳で大名跡柳家小さんを襲名した噺家さん。つねに第一線で活躍をつづけ、芸・人物ともに落語界の最高峰に立つ五代目でした。熊さん、八つァん、ご隠居、おかみさんから狸まで、円満な風貌で演じる滑稽噺・長屋噺で理屈ぬきに落語の楽しさを味わわせてくれる独演集ですので、参加者の方にも話をしましたが。。。

 

身体の動きという情報と、音の抑揚やリズム感という情報のないところ(読書)の中でどのように落語を感覚できるのか、自分の間隔の可能性を楽しんでいただきたいなぁと思います。

 

今月も会員の方と初めましての方に集っていただけました。ご参加の皆様、どうもありがとうございました。

 

テーマや資料が自分たちの生活に近かったからか、今月は「ひとりひとりの考え」を聞いた夜。というよりは、「みんなで対話した夜」という感が強かった。

これも、落語という芸能が持つ可能性かもしれないなぁと思いました。

対話の時間のなかで。。。

 

・俺がお前じゃない地獄・

という面白いキーワードが出ました

いやぁ、これはこれは、ちゃんと考えるに値するキーワードですよね。。。

 

言い換えれば、お前が俺じゃない地獄?かもしれないし、いやいや、もしかしたら、俺がお前じゃない天国もあるかもしれないし、お前が別の人に変化したら、地獄が天国に代わることもあり得るのかもしれないのだし。。。

 

人間って、人間のことを人間として一つにくくるよりも、「あの人」と個別にとらえて生きがちだということに気がつきました。

 

さらに、話が進んで、「地球レベルでの心」という話が出ましたが、もしもそういうものがあるのであれば、「地球レベルの身体」もあるのではないかと思えたりもしますね。

しかしながら、先にも書きましたが、人は個別に人をとらえながら心持を変えがちなんですよ。そういうことを少し考えてみますと、「地球レベル」って、あくまでも「個人レベルの集合体」でしかないようにも思えます。

 

でも、「個人レベル」と「個人レベルの集合体」というものはあくまでも違うんだなぁ。

 

これって、面白いな。

 

何が面白いかっていうと、「個人レベルの集合体」っていうものがあっても、その「個人レベルの集合体」というものを見て感じて判断しているのは、あくまでも。。「個人レベル」ではないですか。あくまでも「個人レベル」で見て感覚して出た判断の平均値をとって「個人レベルの集合体」とはこのようなものだと決定するということだったら、「個人レベルの集合体」というようなものは、「お前」や「俺」が変化すれば、いとも簡単に変化してしまうじゃないですか、そうして、そんな風にいとも簡単に変化することを認めたくない人々がいるとすれば、そこは無視するか、そんなことは大した影響はないとか、大した誤差は出ないというデータを必死に作るかもしれない。

さらにいえば、「いとも簡単に変化する」ということを主張したい人々は、「いとも簡単に変化しないこともある」ということを無視するか、そんなことは大した影響はないとか、大した誤差にはつながらないというデータを必死で見つけるわけでしょう。

 

これ、どっちがいいとか悪いとか、そんな話じゃぁないんですよ。

 

ここに共通点が見えたわけです。なにがって?それはね。。。

 

なんであれ、人は自分が個人レベルで信じていること、そうであってほしいと思うこと以外の情報については、「無視するか、大した影響はないとするか、大した誤差は出ないとする。もしくは、大した影響はないと説く人についていく、大した誤差は出ないという人についていく」のだなということが見えてくる。

 

さらに考えれば、人は、自分の信じるものや自分の好きなものに、その反対に変化しなければならなくなるような「影響を嫌う」し、「誤差を嫌う」ということになる。

 

だって、「無視するか、大した影響はないとするか、大した誤差は出ないとする。」ってことは、そのことで何かが変化することを嫌がるということの表れのように思えるからです。

 

「嫌い」というのは善や悪のような人生の構築中に生まれてくる判断価値のようなものではなく、生まれながらにして持っている判断価値基準のようなものだと、私は思います。

 

だとしたら、「嫌い」とか、「なんとなく嫌」みたいなシンプルな感覚は「地球レベルの心の持ちよう」かもしれない。

 

「なんとなく嫌なんだな、説明できないけど」というような感覚の時こそ、あ、いま地球レベルで判断したかも。。。と思ったほうがいいのかもしれないな、今日からそんな感覚になったらメモしておこうと思ったりします(笑)

 

極端に考えてみれば、「好きか嫌いか」ということが、その物自体に対しての人間の運動や活動そのものを動かしているのかもしれないですね。それをそれぞれの立場の人々は、必至で自分の立ち位置へ有利なというか有効的なデータを提示する。そしてそのデータをわかりやすく印刷した大きく旗を振っているのを見て、人は「なんとなく嫌だ」と思わないほうへ集まっていき、ホッと安心したりする。

 

 

でも、現代社会の普通の一面を言い当ててる気がしますよ。

 

 

いやはや、落語って、本当に深いね。

これは伝承していくべきものだな。

 

会員の方々と落語行きましょう!と約束して別れた夜でした。

 

 

次回は、2017年2月18日(土)

 

第34回 インド思想の流れと古典ウパニシァッド

   (輪廻・業・ヨーガ)を学び考える夜

 

皆様のご参加お待ちしています!

 

参考資料:インド思想史 (岩波文庫) 文庫

     J. ゴンダ  (著), J. Gonda (原著), 鎧 淳 (翻訳)

 

そもそも、インド思想ってどのような歴史的な流れがあったのかな?

そもそも、ヨガってなんだろう?

そんな風に思っていたヨガ好きの皆さんにもおすすめの回となります。

 

 

コメントをお書きください

コメント: 3
  • #1

    ナナコ (金曜日, 20 1月 2017 20:50)

    こちらでははじめまして(*^^*)
    先週はお疲れさまでした。

    個人的に面白かったのは「私は住所」です!
    言葉としてはヘンテコなのに、でも銀行とかの本人確認で普通に住所使ってるし、みんな大真面目に「私は住所」で生きているー!
    (もちろん、住所だけではないけども。)

    現実を言葉で表そうとすると、変な言葉になる。
    こういうの、ほんと好きです。
    現実が変なのか、言葉が変なのか…

    >「嫌い」というのは善や悪のような人生の構築中に生まれてくる判断価値のようなものではなく、生まれながらにして持っている判断価値基準のようなものだと、私は思います。

    >極端に考えてみれば、「好きか嫌いか」ということが、その物自体に対しての人間の運動や活動そのものを動かしているのかもしれないですね。

    私もそう思います。
    「生きることは表現すること」と、瞬きも表現だと、とっこさん仰っていたかと思いますが、何億人もの人が、自分では選べない判断価値基準に突き動かされて、表現し続けてるって…なんだか途方にくれる感じがします。

    にしても、
    私はこのブログをとっこさんの意図どおりに読めてるのかしら。
    「私は住所」も、ちゃんと発言者さんと同じ意味で捉えられてるのかな?
    このコメントは、私の意図どおり伝わるのかしら。
    話が噛み合ったように感じても、実はお互い違う解釈で話を進めてるのかもしれない。
    そういうの考えだすと苦しいけど、確認する術もないんですよね。

    「俺がお前じゃない地獄」は、こういう「分かりあってるのかどうかは絶対に分からない」的なことを指してるのかな、と思いましたが(違ってたらすみません)、個人レベルでの認識しかできないことが分かっていながら、じゃあなんで私たちは対話して分かりあおうなんて無謀なことをするのか。笑

    「俺がお前じゃない地獄」、ぜひ哲カフェのトピックに取り上げてほしいお題です。

  • #2

    ナナコ (金曜日, 20 1月 2017 20:54)

    うわぁ、ごめんなさい。
    すっごい長くなってた…

  • #3

    とっこ (月曜日, 23 1月 2017 21:48)

    ナナコちゃん、今月も良い考えをどうもありがとうございました♪
    「俺がお前じゃない地獄」を取り上げたら、H君が喜ぶよ!きっと(笑)ちょっと現実にできないか考えてみましょうかね。

    すっごく長くなっていても、そんなことは気にしたらダメだ(笑)
    人生は一度きり、長いようで短いのですからね。
    誰かにわかってもらうために、もしくは、誰かの理解を得るために「考えている」ほうが苦しいかもしれないと、私は思ったり。。
    しかしながら、分かり合おうとするその活動そのものには確実に意味が存在する気がします。だから、やっちゃうんですよね、凝りもせず。
    きっと、途方に暮れるような存在なのよね、人間は。。だからこそ考えるに値するのかもしれない。
    コメント、どうもありがとう!