出張哲学カフェ@上田「粗忽長屋で考える私とは何か」

 

2017年4月9日(日)

14:30~16:30

「粗忽長屋で考える私とは何か@上田」

場所 nabo Books&Cafe 

 

長野の上田に出張した

「読む哲学カフェ」

杣Booksの細井さんからお呼びいただき

行ってきました!上田です♪

ご参加の皆様ありがとうございました!

 

細井さんのたっての希望で「粗忽長屋で考える~私とは何か?~」を考えさせていただきました。

 

毎回、開催のたびに会の進行ペースも内容も違うのはなぜだろうか?

私は、間違いなく、私のままなのに。

 

いやはや、こういうことも繰り返し行っているからこそ分かることですね。

 

「人は人との交流によって変化する」わけですし

「人は日々変化している」のだろうと思わざるを得ません

 

参加者の方々の意見は、わりと活発に出ましたですね。

「粗忽長屋」というお話が持つ(人間を映し出す)力とでもいいましょうか。

 

人間を考える上では「落語」というテーマはよいのだなと思います。

 

参加者の方がのご意見を聞いていても、やはりどなたのご意見も(人間)(人間の様)(人間の性)そのようなものを根底にお話が交わされました。

 

 

さらに、粗忽ということを別の言葉で言い換えた方が数名出ました。

「粗忽は強さである」

「粗忽は楽しむ能力である」

などなど。。。うふふ、面白いな。

 

そして、一人の人間の中にも(八と熊)の二人が存在する。

 

というような考えに全員でたどり着きました。

 

人それぞれですよね!というような話が多くかわされていたのにもかかわらず、あっさりと最後は八も熊も存在するところの人間という存在といようなことに着陸しました。

 

 

そのうえで私が思ったことは

 

なぜ、私はこの場所で、私としてこのようなことを行っているのだろうか?

というようなことです。

 

あっさりと引き受けてしまうしかない不可思議なことを考えた挙句、「私はなぜ私なんだろう」という問いに向き合うしかない状態になりました。

 

私はなぜ私なのか?と私が考えたように

 

 熊だと思われる死体を抱えながら

二人はそれぞれに。。。

 

自分はいったい誰なのか

考えながら歩いていたのかもしれない

しかしながら、死体の重さや気持ち悪さが、そんなことをじっくりと考える暇や余裕を与えなかったから、二人はこれをやってのけたのかもしれない。

 

そうであるならば。。。

私たちが感覚している重力や気圧が、気温や湿気が、実は人間が陥りやすい、自己の探求や自己の内省にばかり心を使って、心(魂の)入れ物としての身体を忘れてしまうような生き方をさせないよう、できるだけ心に(魂に)ストレスがかからないように働きかけているのではないかしら?と思ったりもするのです。

 

だとしたら。。。

地球と人間はつながっているとしか思いようがない。

けれど、またこれは、別の教材でやりましょう。(笑)

 

 

出張哲学カフェ、皆様のお声掛けをお待ちしております。

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