第40回 「ヘーゲルという哲学者を訪ねる夜」

近代哲学。

大学時代より、近現代は、どうにもこうにも、苦手なところでした。なぜかな?性質が古代的なのかな?(笑)

 

その近代哲学のドイツ観念論の巨人と呼ばれたヘーゲルに挑戦するための準備をする夜となりました。

 

さて、では、ヘーゲルさんのこと、少しご紹介しますね♪

 

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

ドイツの哲学者。シュットガルト生まれ。

ドイツ観念論者一人、近代哲学を完成させた人と言われる。過去の哲学を集約して、独自な体系を築こうと努めた。

1788年チュービンゲン大学神学部入学

1789年隣国フランスでは、フランス革命が勃発

1801年「フィヒテとシェリングとの哲学体系の相違」

1807年「精神現象学」イェ-ナ大学を辞職

1812~16年「論理学」が出版されると、ヘーゲルは一躍有名になり、エルランゲン大学、ハイデルベルク大学、ベルリン大学の三つの大学から招聘を受ける

1830年ベルリン大学の総長になるも、1831年死去。

 

ざっとご紹介で申し訳ありません。まぁ、でも流れは何となくつかめたでしょう。

 

今回、資料として利用しましたのが

こちらの書です。

ソクラテス、プラトンから、デカルト、カント、ヘーゲル、そしてマルクス、サルトルまで。哲学史に多大な影響を与えた15人の大哲学者の思想、生涯、著作、時代背景を平易に解説であります。

偉大なる哲学者たちの「人生をかけた考え」を、やはり同じように、貴重な人生の時間を費やして解説しよう!と取り組んでくれたのは、大井 正さん  寺沢 恒信さん どうもありがとうございました!という気持ちです。
毎回、思うのですがね、本当に、本当に、このようにコツコツとまとめたり解説したり、というような仕事を誰かがしてくれなければ、原書を読もうと思わない人もいるわけですからね、意味の大きなお仕事だと思います。

近代哲学は、やはり西欧中心。歴史も哲学も西洋中心です。一般的にヘーゲル哲学の特徴は、歴史と現実社会が深く掘り下げられながら語られるところにあると思われます。マルクスの歴史観などにも大きな影響を与えていることもよく知られていることです。

 

今回も、たくさんの皆さんにご参加いただきました。ご参加いただいた皆様どうもありがとうございました。

 

初めての方も多かったです

やはりヘーゲルは人気があるのかな~

これだけの人を現代にも集める力

やはり、只者ではないようですな!

今回も、たくさんの貴重な意見、本当にありがとうございました。

 

ヘーゲルを読むためには、どのような心構えで読めばいいのか。。

そのようなことをみなさまにお尋ねしてみましたが

みなさん、快くご自身の意見を述べてくださって、なんとも、本当に嬉しかった!

 

・言葉遊びのような感覚が強く、お付き合いしたくはない人のような気がする

・最後の最後に読む哲学者のような気がする

・数式のような美しさを感覚しながら読んでみる可能性

・言葉の定義づけをきちんとしながら読み進めたほうがいい

・ロマンチックさが根底にあるようだ

・歴史の発展を読み解くカギがあるかも

・真理を促進させてくれるかもしれない

 

などなど、本当に貴重な意見です

ありがたいなぁ。

 

ヘーゲルの書には、彼の頭の中に、また、魂の中に存在した(ロゴス)が渦巻いている。

個人的な感覚としてはそういうものが近いかな。
まぁ、私自身もパラパラと読んだり、大学でおおまかに学んだ程度ですが、それでも、そのような印象を持ってしまう。

 

彼は確かに大天才なのです。しかしながら、(ロゴス)では見通せないナニカシラがこの世界には存在する、としか思いようがないことがある。
たとえば、人間の中にも人間ではないナニカシラがそんざいしていると思わざるを得ない瞬間があったりするじゃないですか。

いや、きっとヘーゲルもそのことは感覚していたはずです。

だからこそ、形容しようとしたのかもしれない。

 

 

さて、今回の解説書では、そこまで詳細に紹介されてはいませんでしたが、会の中盤話題に上ったのが、「世界精神」「絶対精神」のこと。

 

ちょっとだけこの二つをまとめてみると、連綿と続く時間の中を流れる根源的な力であるところの歴史、これを「絶対精神」として、その歴史のその時代時代の基本的形を作る力を「世界精神」とまぁ、大まかにそういう感じでとらえるとする。で、この絶対精神発現の流れの中に必然として出現する「世界精神」、逆に言えば、その「世界精神」を通して「絶対精神」が現れる。

 

会の中でも、世界精神の話が出た時に、世界精神とは、そのように作用するしかない「見えざる神の手」のようなものに動かされた?というような話が出ました。これは、東洋的な考え方であれば、もう少しぼんやりあらわせるんですよね、きっと。

 

ですから、上記したように、「そのように作用するしかない力」に突き動かされたところの「世界精神」であるとすれば、「世界精神」をたどり積み重ねて見つめてみたら「そのように作用するしかない力」そのものに近づくことができるのかもしれない。でも、なかなかに言葉に頼るだけではやはり難しい。

 

たとえば、我々は日本人は、「花はどうだった?」なんて聞かれても、「花は赤くその濃淡が美しかったよ」とか、そういう具体的にその存在を形容する言葉を積み上げたような言葉ではなく、その存在そのものの状態であるところの、「咲いていたよ」というような、有様そのものを優先してぼんやりした答え方をすることが多いではないですか。

 

日本人の世界精神とドイツ人の世界精神があるのかな?いや、あるんでしょう。

でも、人類が経験を積み重ねれば、きっと重なる人類存在の世界精神の局面があるような気もする。そういうものをグローバルって呼ぶのかもなぁ。

 

たとえば、東洋的な哲学や、仏教などでしたら、このように草花だけではなく、人間をも、もっと、こうなんといいますか、野蛮にとらえるというか、生命体としてとらえる感じがある。でも、ヘーゲルにはそういうものが欠けている気がするのは、日本人的な世界精神で彼の言葉に触れるからだろうな。

 

論理的な内省ではたどり着かない、徹底的な、なりふり構わない内省の果てに、「空」のような状態が存在する。これって、仏教的な考え方かもしれませんが、日本人にはなんとなく、こういう感覚のほうがしっくりくる。いや、私にとってなのかもしれないけれど。

 

しかしながら、現代社会は、とっくに西欧的な生活様式と考えに取り囲まれている。そして、その後は西洋的なものも流れ込んできたわけですしね、ごちゃまぜです現代日本。ですから、「空」から見る「ロゴス」みたいな感じで、逆さにたどるように、仏教的な哲学の仕方でヘーゲルが人生をかけて取り組んだであろう、論理で見た人間の書を読んでみるのも、きっと読みがいあるものだろうと思います。

 

あぁ!そうだ、これだ、読みがいがある。きっとそうです。ヘーゲルは読みがいがあるんですよ。好き嫌いは別として、読みがいのある考えをした哲学者なのでしょう。

 

楽しかったな。著者の方、参加者の方、そしてヘーゲル、ありがとうございました。

 

苦手意識を持たず、ちゃんと読んでみましょう。たった一度の人生です。

本を読むということはとても大切な習慣なのです。

第40回まで重ねられた夜にしみじみ思いました。

しかしながら、読むだけではだめなのだということも私は経験上知っているのです。知識は行動を伴わなければ、やはりその力は半分でしかない。

 

早寝早起き手洗いうがい。このような基本的な生命を守る習慣も人間はなかなかに続けられませんが、哲学をする者としては、このようは小さな習慣を誰が見ていなくともきちんと積み重ねていられる生き方の上にこそ哲学は光り輝くのだと思わずにいられない気持ちになりました。

 

自分の世界精神を研ぎ澄まそう♪