葉隠入門で人生の価値を考える夜

 

「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」

 

この文章は、あまりにも有名ですが

その文章が書かれている「葉隠」という書物を

自分の美学を照らし合わせながら書かれた

三島由紀夫による「葉隠入門」をテキストにして

人生の価値を考えようとした夜でした。

 

ご参加の皆さん、今月も佳い考えをありがとうございました。

 

葉隠という書物について

三島は“わたしのただ一冊の本”と呼んで心酔したそうです。

そのなかから「三十八 写し紅粉」

男のたしなみ。について書かれた項を抜粋しました。

 

三島由紀夫

 

(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威(きみたけ)。1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。

 

「葉隠」は近世の佐賀が生んだ傑出した人間の書、思想の書であり、また道徳の書。

 

 今から300年前、江戸元禄時代。佐賀藩の山本常朝が武士道を説き、田代陣基が筆録したものが葉隠です。51歳の時から7年の歳月をかけたとされています。

さて、時折、参加者のほうから出る意見、「ここだけ読んでもわからない」というものがあります。今回も、そのような空気を感覚しました。しかしながら、「ここだけ」を読むからわかること、というものがあるんです。(笑)

 

誰が書いた文章であるかをまず探る

 

いつ頃書かれたものであるかをやはり探る

 

作者はこれが伝えたかったのであるという評論を合わせて読む

 

 

というようなことではなく。。。

 

ポンと渡された文章から、想起されるものを味わい伝え、また味わう。

そういうことをていねいに重ねることで得られる哲学的な快感というものがあります。私的にはそれも楽しいよということを伝えていきたいのでこれからもこのスタイルを貫こうと思いました。(笑)

今回は、会員の兵藤君がサポートに入ってくれました。

 

以前から、三島の葉隠入門に対して熱い想いを話してくれていたので、今回、三島の葉隠入門に挑戦してみましたが、葉隠という書に書かれている文章を「楽しむ」ということを、参加者の皆さんにも少年のようにキラキラしながら熱く伝えてくれました!ありがとう!

 


誰かの熱い気持ちとともに語り合うということも、哲学の醍醐味の一つです。

 

そして、このことは、他者への思いやりにも通ずる感覚であると思います。

 

葉隠にせよ、葉隠入門を書いた三島にせよ、死んでもなお、このように誰かに影響を与え続けていることを考えれば、間違いなくすごい力をもった書物なのでしょう。そして、力というものは、良いとか悪いというカテゴリーに入るようなものではなく、影響を与え続けるということ、まさにこういうことなのだと思わざるを得ない事柄です。

 

参加者からも様々に意見が出ました。

・健康の重要性を語られている気がした

・一瞬を精いっぱい生きることを感覚した

・イケメン的な志向の美学にも通ずる気がする

・もう少し洒落っ気があったら三島の人生は違ったのかも

・思想と哲学の差異や倫理と論理の差異を感覚した

・倫理と美の結合

・集団を守るためのシステム

・読む勇気が湧いた

・美の基準は誰かによって操作されうる可能性

・はがくれは九州ではあまりにも生活に密着した言葉だ

 

 

今回のサポート会員の兵藤君が以下のようなことを語ってくれました。。

 

・真面目に考えすぎてはいけない。これは武士たちの時代の処世術、生きるすべだったのだから、素直に感動して自分の人生の役に立てたらいい。

 

いや、ほんとうに、そうだよね(笑)三島もそう思っているかもしれない。眉間にしわ寄せないで、ただ素直に楽しんでよ。かっこいいなと思うところはマネしてもいいよ!って感じで。。

 

真面目に究極に研ぎ澄ます緊張感をもって生きることは、ときには他者をも傷つけることになる。三島の葉隠入門を読んで思うことは、そういうことです。

社会がよくわかっていない人間や、一般大衆と呼ばれるような人々の中にあるような、つまらない想いなどを言葉にして残すことが哲学や文学の持つ大事な役割の一つだろうなぁ。

そうであれば、葉隠入門という書物は、葉隠を読んだ未来の人が、それを読んで自分の想いを言葉に変えて記した。ということであって、山本常朝という過去と、三島由紀夫という現在と、わたくしたちという未来が、交差した瞬間に他ならないのでしょう。

そして、そのことこそが哲学の一つの側面であることは間違いないことだろうというところへ、私自身の考えはとどきました。

 

実際には、生活に役立つように「人生の価値」というものを「たしなみや思いやり」から考えていけたらいいなと思っていましたが、そうは問屋が卸さなかったので(笑)まさに、しっかり哲学できたなぁと心から嬉しくなる回でした。

 

次回は哲学堂で遠足です。

会員の横張君がサポートしてくれますので楽しい回になること間違いなしでしょう!(ハードル上げて怒られそう(笑))

皆様のご参加お待ちしています!

 

【次回の詳細はここから】