第44回 政治から見る人間について考える夜

 

2017年を締めくくる夜は、丸山眞男氏の「政治の世界」から(人間と政治)を読み、参加者の皆さんと【政治から見る人間】について考えました。

 

「丸山眞男」

戦後日本の思想世界において、学者あるいは知識人として、もっとも大きな影響を日本にあたえた人の一人です。

戦後という特殊な時代、戦後という過去の時代、そんな時代の思想家であったというだけでなく、今日をもってしても、一般の人々に検討されるに深く値する現代の思想家であることは間違いないと思われますので、1年を締めくくるという意味では本当に佳い時間になったと感じております。

 

多くの皆様にご参加いただきました。どうもありがとうございました!そして、今回のテーマは会員の横張君がサポートに入ってくれました。どうもご苦労様でした。

通常よりも30分長く開催しましたが、2017年度を振り返るの時間までがつくれませんでしたね。。大反省でございます。でも、失敗は成功の母でございますのでね、来年にこの失敗を生かしたいと思っております。みなさま、温かいご支援を来年もよろしくお願いいたします♪

 

今回は、短い時間になってしまったのでとても反省しております。けっきょく、丸山さんの言わんとしていることがよくわからなかった。。ということがあってはいけないので、簡単に今回の資料を要約しました。

(以下要約)

 

政治の本質的な契機→

人間の人間に対する統制を組織する事。

(言い換えれば、人間を現実に動かす事)

↓     ↓

外部的に実現された行為を媒介として始めて政治が成り立つ。

 

政治:外部的、人間を現実に動かす

     ⇔道徳・宗教:人間の内面に働きかける

 

既存の人間関係あるいは社会関係を、望まれていた方向に変えることが政治運動の目指すところとなる。

 

【この目的を達成するために】

 

♪人間性のいかなる領域をも必要に応じて動員する。

 情緒に訴える→マイランダ   理性に訴える→グレデンダ

 

♪一定の言動なり、事件なりが「味方」にどう影響するか「敵」をどう利するかということが羅針盤になる。

 

【結果がすべて】

よって、政治家の功罪に対する批判はどこまでも彼の政策が現実にもたらした結果によっ

て、判断されるべきである。

政治は汚いように見られるが、あいにく現実の人間が天使に生まれついてないだけである。

 

しかしながら、丸山氏は人間存在を【性悪説】にはとらえいるわけではない。。。

 

では、丸山氏は政治を通して人間存在をどのようにとらえているのでしょうか。。気になった方はぜひ読書してみてくださいね♪

 

参加者の皆さんからも多くの意見をいただきました。

 

・民主主義社会の第1歩は議論することから

・資本が人間を捻じ曲げるのでは?

・思考停止には陥りたくないと思った

・何事でもちゃんと選べる判断材料が欲しい

・イデオロギーの違いがどれくらい民主主義に関係があるのか

・このような問題を避けていたら最悪な事態になる気がする

・どちらに当てはまらないものであっても大切なものも有る

 

そのようなことをみなさん口々に述べておられました。

私的には、家庭の中でも、職場でも、学校でも、みな自分の主張が通るようにというプロパガンダ的なことは行ったことがあるはずで、それは、古代から行われている。人間というものは、あまり古代から変わっていないし、とにかく自分の思い通りに人や物を動かしたいわけです。もっともらしい説をつけたり、常識ではとか、一般的にはとか、わが国ではとか、そんなアノテコノテを使うわけです。

しかしながら、であるからこそ、生きづらい。(笑)これは誰もそう思うことではないかと思います。自分の手足もそんなに思い通りに動かせないのに、他人や国家そのものが思い通りになるわけがない。しかしながら、其処に在る生命を守るためには、できるだけこちらの方向に人々を導かなければならない。という想いを政治思想と呼ぶのであれば、なんとなく理解はできるわけです。

そして、そう理解するのであれば、それは、時代で変動するものだろうし、しかしながら、変わることない人間存在の特徴のために変わらない軸のような想いも同時に存在するのだろうと。。。簡単に言うと、どの人にも善悪が同時に存在するように、どの説にも良し悪しがあるし、そのようなイデオロギーにも良し悪しがある、そしてそれは時代でも変化して環境でも変化するわけです。

 

動き続ける人間(とどまることも含めて)、変化し続ける人間、変化を怠る人間

 

すべての生命に対応していくのが政治なのかもしれません

 

だとしたら、答えはないし、目的は常に変化するのでしょうから、いつもいつも話し合うこと、いつもいつも気にかけておくこと、それしか方法はないような気にもなりました。

 

たとえ気に入らなくてもね(笑)

 

ちゃんと聞く

ちゃんと受け入れる

ちゃんと批判する

ちゃんと動く

 

それを継続するしかない

 

民主主義を永遠の革命だと丸山氏は位置づけました。

さらに、丸山氏は政治の本来的課題は紛争の解決であるとしました。

 

なるほどなぁ、そうであれば、その革命は、永遠に繰り返す「儚く透き通る革命」だなぁ。

そして、人生の課題として「人付き合い」という紛争解決が存在しているなぁと。

ねぇ、しみじみ感じますよね。

 

人間のことですから、自分の小さな世界から変革しなければいけないんだなぁ。

 

 

さて、あの時代は何だったのだろうか。そう思いながら読書するという戦後に向き合う方法がありますね。戦争は他人ごとではなかった。そして、戦後処理も他人ごとではありませんね。自分の責任としてちゃんと考えてみるって大事なことだった。本当に有意義な読書となります。ぜひ、読んでみてくださいね。

 

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コメント: 2
  • #1

    通りすがりのプラトン主義者 (水曜日, 20 12月 2017 14:48)

    こんにちわ。
    いやぁー、政治の話は大変ですね(笑)
    でも、哲学の場で語られるのは、政治ではなくて「政治」の話なんですよね。丸山真男も「政治」を語っている。

    さて、皆さんのお話を聞いていて、唸らされる意見が二つありました。その場では、時間が無くて議論できなかったので、この場を借りて。
     まず、「人柄で選んではいけないの?それって本当に判断停止なのか?」。
    これは、選挙民は、一体「何」を選んでいるのか?という、代表民主制の根幹に関わる鋭い指摘だと感じました。
     一般人に、複雑な政策や統治が判断できるのか?できないなら、それを判断・実行できるであろう人物に全て任せてしまおう。選挙民の役割は政策を見るのでは無く、候補者の能力・人柄を選んだ方が余程、安全であり、賢明である。それは判断停止ではなく、大衆の傲慢を良しとしない分別である、と。
    この考えの背景には「理性」の力をどう捉えるか、という、進歩主義対保守主義の対立があります。
    また、「諸問題を経済的問題に全て還元してまっていては解決はできない」という意見も、全くもって同感です。
     経済的アプローチが、政治をはじめとするあらゆる固有領域を侵食し、21世紀の「諸学の王」の座に君臨すればするほど事態は迷走する。
    米国の政治学者シェルドン・ウォーリンは「政治的なものと一般的なものの乖離は、繰り返し、現代の思想家たちを不毛な脇道に導いててしまっている。これによって私が指摘したいのは、彼らが、政治的問題を本質的に非政治的な枠組みであるもののうちに試みているということである。その結果は行き止まりの繰り返しであった。」(『政治とヴィジョン』)と述べていますが、現代政治学の課題は、まさにここにあります。
     更に言えば、本来、全学問領域を統括するのは、哲学の本分であり、現状は経済の傲慢です。

  • #2

    とっこ (土曜日, 23 12月 2017 08:44)

    お疲れさまでした!本年も1年どうもありがとさんでした♪
    そして、今回は、特に頑張っていただき感謝です。

    たしかに、たしかに、「政治」そのものを語る。でありますね
    そして、今回は、その「政治」から見る「人間」そのものを語ることができたらなぁと願っておりましたが、「政治」を生活に落とし込むことに、我々は不慣れなため、専門家に任せたほうがいいと思い込んでしまっている。そのような気持ちでもあります。
    シェルドン・ウォーリン氏の見解には大いに興味あり!です。ご紹介いただき感謝です!早速読みたい!(笑)
    「学問領域を統括するのは、哲学の本分」
    この気持ちを胸に、来年も頑張りたいですな♪来期もよろしくお願いしますね~