東京第46回「キリスト教とはなにか考える夜」

 

長野でも開催した「キリスト教とは何かを考える」

東京でも開催いたしました。

東京では、今回で第46回を迎えた読む哲学カフェです。

 

今回も12名の参加者が集ってくれました。

信仰の有無とは別に「キリスト教」そのものを真剣に考える時間はとても貴重な時間でしたね。

 

在るとかないとか、好きとか嫌いとか、いいとか悪いとか、そのようなどちらかに偏ることなく、自分の真反対の意見をも愛すべき意見であるとみなす、というような、キリスト教の提示する隣人愛の心持でお互いの意見を交換するということを繰り返すことは、本当に大切だと思いました。

 

会員のHちゃんが、ホワイトボードを利用してキリスト教の概要を説明してくれたり♪する場面もありましたしね、Oさんができる限り簡単にシンプルにキリスト教の歴史的な背景を説明しようとトライしてくださったり、読む哲学カフェ自体の特徴が育ってきているなぁと感覚する瞬間が多々ありました。このような取り組み(哲学カフェの開催)をするにあたって、私的には「考えることが人間の人生の中で一番重要である」という想いが根底に存在します。

 

みなさんが、本気で考えてくださっている姿を見るたびに、自分の人生をどのように使わなければならないかの覚悟を思い知らされてばかりです。

 

誰の意見も間違いではない。

 

100人いたら100の意見がある。

 

100人いたら100の宇宙がある。

 

ゆえに、100人いたら100の神が存在するのだろうと思うしかない。

 

いや、97番の人の神と12番の人の神は似ているかもしれないけれど、97番の人の神と65番の人の神は全く似ていないかもしれない。そして、もしかしたら、似ていても似ていなくてもどうでもいいことかもしれないし、似ていることが本当は似ていないことかもしれないし、似ていないことが、本当は似ていることなのかもしれない。

 

今回の東京での開催は、最初にみなさんに「最後の晩餐何食べたい?」なんて、俗っぽい話からスタートしました。でもね、こういうことをいちいち考えることだって大事なんです。生きるってそういうことですものね。

 

東京でもたくさんの意見が出ましたよ。

 

・人によって解釈が変化する

・オカルト的にみるのではなく、それを考えてきた人々の魂も含めて考えつなげていくことが大事だと思える

・「契約」の意味をきちんと理解したい

・ただのたとえ話で終わらせたり捨てたりできないもののように感じる

・キリスト自身がとても気になる

・救われていない人を救うという希望がキリスト教をのこしたのでは。。。

・キリスト教を考えることで日本人のことが理解できる気がする

・神に有利な契約だなぁと感じる

・舞った着物を創らなかったのはなぜかな?

・なぜ一神教に至ったのかをもう少し詳しく調べてみたくなった

・イエス自身はソクラテスのようだと感じる

・創造主としての存在そのものには疑問を感じる

 

ほんの一部ですがね、簡単にご紹介しました。

 

キラキラした宝物のような皆さんの魂からこぼれおちた意見です。大事にしたいです。

 

・人生をアシストしてくれる存在のような気がする

 

年に1度はキリスト関係の回大事ですねと、しみじみ。

 

私的には、誰かを救いたい人は、自分が救われたい人なのだと思います。

 

ゆえにそこから、救いを個人から宗教団体というように考えを広げますと、宗教団体というものは、「救われたい」という、心からの、魂からの、願いを持った人びとが、そこに気がついた人々が、自分と同じように救われたくてもがいている人々を思いやりながら、「人を救う」場所をつくり、「人を救う」役割を担っている、どうやらそのようなシステムで成り立っているのは間違いない事実のような気がします。

 

そして、長い歴史の中で、気温や気候の変化も、また人口の増減も、産業の発展も、経済の変化も、さらには、人間の身体の進化も、人間の信仰心に大きく影響を与えるのだと思います。どんな病気がなくなって、どんな病気が新しく生まれてくるのかとか、そんなことも、かなり影響しますよね。

 

昔は、誰も知らなかったことが、いまでは当たり前に誰でもその仕組みを説明できる、そんなことでこの世はあふれているではないですか。ゆえに、我々は過去を論証するために生きているのかもしれないので、イエスの復活も、もしかしたらあと数百年したら、「あぁ、復活ね、それはね。。。」なーんて、誰でも知っている仕組みなのかもしれないなぁとおもったりね。

 

でも、何千年も残る話や文言を取り扱うときには、軽んじてはならないわけです。此処大事なとこですよね。どんなに仕組みを解明できても軽んじてよいわけではない。それが人間のすることを読み解くときには大切なことです。ということを感じた夜でした。みなさん、どうもありがとう!

 

 

 

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コメント: 4
  • #1

    ナナコ (金曜日, 09 3月 2018 23:33)

    こんにちは(^-^)
    こちらの場ではお久しぶりです~

    Oさん、Hさんの説明は分かりやすく、聞いててテンション上がりました!o(*゜▽゜*)o
    「罪に気づかせるために戒がある」が、個人的に大ヒットで、目から鱗でした。

    >誰の意見も間違いではない。
    >
    >100人いたら100の意見がある。
    >
    >100人いたら100の宇宙がある。

    のくだり、本当に!
    他人の宇宙は永遠に謎ですね。

    でも、

    >「考えることが人間の人生の中で一番重要である」

    考えるときってみんな、何かしらの疑問を持っていて、その答えがほしくて考えるのだと思いますし、
    >誰の意見も間違いではない。
    では納得できず、やっぱり100の宇宙共通の答えがほしいから、話し合いというものがあるような気がします。

    でもでも!やっぱり

    >誰の意見も間違いではない。
    >
    >100人いたら100の意見がある。
    >
    >100人いたら100の宇宙がある。

    でもあるんですよねー
    なんかこの辺いつも混乱します。

    ところで、

    >宗教団体というものは、「救われたい」という、心からの、魂からの、願いを持った人びとが、そこに気がついた人々が、自分と同じように救われたくてもがいている人々を思いやりながら、「人を救う」場所をつくり、「人を救う」役割を担っている、

    とありましたが、救われたいと思っている人たちは、救われていないので、人を救うシステムは作れないのでは?と思ったのですが、いかがでしょう??

  • #2

    とっこ (水曜日, 14 3月 2018 10:45)

    ナナコちゃん、コメントありがとうございます♪
    ゆっくりと考えてくれるナナコちゃんの意見はとても人間らしくてよいなぁと思います。本当にコメントありがとう。

    >救われたいと思っている人たちは、救われていないので、人を救うシステムは作れないのでは?と思ったのですが、いかがでしょう??

    人を救うシステム。というものを創れるのは、やはり「人」でしかない。
    実際に、「救われている人」であれば救われたいと思うことさえないので、そんなものを思いつくはずもないと思います。
    ゆえに、救われたいと願っている人しか「人を救うシステム」など考えもしない。
    もっといえば、救いそのものを考える必要がある気がします。救済ってなんですか?そもそもそれはなんであり、何処から発生して、何処へ向かい消えていくものなのか、救済にも、良いや悪いがあるのではないのか?とかね(笑)
    しかしながら、私的には、救われたいと思うような気持ちは持ちたくない。神様、ほっといてくださいな、自分のことは自分でやります。と言いたい気持ちです。ははは。

  • #3

    ナナコ (金曜日, 16 3月 2018 19:45)

    >しかしながら、私的には、救われたいと思うような気持ちは持ちたくない。神様、ほっといてくださいな、自分のことは自分でやります。と言いたい気持ちです。ははは。

    とっこさんらしいですね!笑
    私も神神いうわりに、そういう、なんというか、個別概念的な神は嫌いです。笑

    >ゆえに、救われたいと願っている人しか「人を救うシステム」など考えもしない。
    もっといえば、救いそのものを考える必要がある気がします。救済ってなんですか?そもそもそれはなんであり、何処から発生して、何処へ向かい消えていくものなのか、救済にも、良いや悪いがあるのではないのか?とかね(笑)

    私も同感です。少なくとも過去に「救われたい」気持ちを持ってたことは必須条件かと。
    ただ、

    >実際に、「救われている人」であれば救われたいと思うことさえないので、そんなものを思いつくはずもないと思います。

    ここが疑問です。
    救われてない状態から救われた人なら、救済システムを思いつくのではないでしょうか?自分の体験を基にして。
    というか、そういう人でないと救済システムを作れない気がします。
    救われてない状態、救われた状態を知らないと、どうシステムを作ればいいか、分からない気が。。

  • #4

    とっこ (金曜日, 16 3月 2018 22:09)


    >救われてない状態、救われた状態を知らないと、どうシステムを作ればいいか、分からない気が。。

    簡単な足し算引き算のようなものだよね、言葉の足し算引き算。救われた状態を知ってないと救済システムはつくれない。でも、おかしいでしょ、誰が救われたって判定しているのよ。ってことが全く不明じゃない。自分で決めるの?だったら誰にも救われる必要はないもの、自分で「はい救われた」って言っちゃえば終わりだもの。
    ゆえに、本当に救われている人は、救われることそのものの意味が分からないはずだし、救済システムなど思いつかない。
    救われたいと過去に思っていて、ある日救われたと思っている人がいたら、私的にはこう思うのよ、「それは嘘か、もしくは勘違いだね」って、なぜなら、その人が本当に救われのだとしたら、救済システムなんぞに興味を持つはずはないと思うから♪