第49回「幸せだ。とはどういうことですか?」

 

第49回目の読む哲学カフェは

オックスフォード&ケンブリッジ大学

世界一「考えさせられる」入試問題の中から

「幸せだ。とはどういうことですか?」という設問に

参加者皆さんと向き合いながら

みんなでみんなの考えを楽しんでいきました。

 

ご参加の皆様ありがとうございました!

 

 

写真OKの方のみですので

実際にはあと4名の参加者の方がいらっしゃいました。

 

スタート時を思い出せば。。。

感慨深い人数の増え方です。

ほぼ、告知もしていない状態にもかかわらず、哲学の力に引き寄せられ、集ってくださる皆様に感謝です。いつもありがとう!

 

 

「幸せだ。とはどういうことですか?」

 

・瞑想している時間に感じているかもしれない

・何かしらを信じて仰ぎ見るようなことのできる感覚ではないだろうか

・昂揚と安定を交互に繰り返して感覚している

・自分を肯定している状態の時

・後悔しない快楽は幸せとリンクするように思える

・依存状態から解放されること

・何かを創るまでのプロセスそのもの

・幸福感を感じられればすべて幸せだといえる

・日常に感じられること

・イメージとして保存でき、イメージを想起させるものに触れると感覚できる

・哲学している瞬間

・幸福について考えていない時間がが幸せなとき

 

そのほかにも、皆さんの貴重な「哲学」をお聞かせいただけました。

本当に貴重な時間です。しみじみ思います。なぜか問いますと。。。

今回の回で「幸せを意識したことなど、考えたことなど、ない」

などという言葉は出ませんでしたからね。

 

欲しい欲しくないにかかわらず出されたテーマに真摯に向き合う、そこに自分の保有する知恵と知識と経験を当てはめてみる、そして、他者の知恵と知識と経験を受け、自己の思考に変化を与えながら、他者の思考に変化を与えながら、互いを思いやりつつ、方向は違っても、互いにさらにその先に進むことをあきらめない。

 

これぞ哲学そのものであろうと、私的には確信しています。

 

皆さんの哲学への過程を目撃しながら、偉いといわれるような人の哲学を借りて、さも自分が考えたかのように誤解しているような「名ばかりの哲学」ではなく、自分の内から思わず生まれる「自ら考える哲学」を感じています。

 

そのような「自ら考えた哲学」を保持した後に、偉いといわれているような人の哲学書を読むという順番が大切な気がします。

 

言い換えれば、日常に存在する「さもない不安」「取るに足らない疑問」、哲学は其処から細胞を変化させるかの如く形を変えつつ変化(成長)していくもののように思います。この「哲学」を「幸せ」に置き換えても同じことが言えるでしょう。

 

・お金が欲しい

・権力がほしい

 

資本主義の現代においては、日常何処にでも存在していて、ふいに生まれる他者への妬みのような、人生への漠然とした不安感のようなものが追い風となって、幸せである状態というものが、いかにも善であるかの如く働きかけて、人を惑わせていくんだなぁと思います。

 

まぁ、それくらいに、「人は安定を望む」ということでしょうね。

 

無になる。

というようなことも、そうかもなぁと(笑)

 

 

 

 

無になることを目的にするなんて

あなたはよほど騒々しい世界にいるのね

 

騒々しいものとの決別を

決断すればいいだけなのに

あなたが忌み嫌う騒々しさと

けっきょく、あなたは別れられない、その騒々しさから

あなたの目的は、あなたの至らなさから生まれる

至らなさからしか、生きる目的は生まれないのだから

至らなさをぞんざいに取り扱ってはいけない

あなたがその至らなさを大切にしない限り

あなたは無に近づけないのよ

 

 

愛を仰ぎみるなんて

あなたの内にはよほど愛がないのね

 

あなたの隣にいる人を

それが敵であっても

ただ、愛すると決断すればいいだけなのに

声高らかに宣言する必要もなく

何かを啓蒙する必要もない

淡々と敵も味方も、あなた自身が愛すればいいだけなのに

あなたはあなたの内に存在する

愛の少なさを認められないだけではないかしら

少なくても其処に愛が在るのなら

その愛を大切になさい

 

 

 

幸せのことを考えただけで、かなり詩が出るな

ゆえに、哲学は詩を生み出す最高の技法のような気がします

あぁ、しあわせ。ちゃんちゃん♪