第50回 「平気で本当を言う人たちを考える夜」

第50回のテーマは

「平気で本当を言う人たちを考える」でした。

 

ご参加いただいた皆様

今月もどうもありがとうございました!

 

まずは、池田晶子氏のプロフィールをご紹介して

とはいえ、彼女は哲学好きの間ではあまりにも有名人

ゆえに、そーんなに語らなくても知ってるかもしれないので

とりあえず、今回は公式HPから引用したプロフをそのままご紹介いたしました。

 

ご覧のように、容姿も魅力的な彼女

実は46歳の時にがんで亡くなっています

残念です、とても残念。

しかしながら、長生きしていればいいかというと、それもよくわからないですからね。さぁ、何が本当なのかなぁ。皆さんはどう思われますか?

 

前回に行った「忌野清志郎を考える」の回も、そのようなことを考えました。

清志郎がまだ生きていたらどんな音楽を創るのか、どんな詩を書くのか、それと同じように、いまもまだ池田晶子氏が生きていたら、この社会を見つめ、どのような哲学的な発想で世を切り語るのか、とても興味がわきます。しかし、彼女はいません。これが現実。そして、それでも彼女は存在している。これも事実。人間のすることのみならず、人間の存在の仕方そのものも本当に不思議でならないことばかりです。

 

公式HPはこちらから

【わたくし、つまりNobody賞】 

 

お久しぶりのRちゃんやNちゃんが来てくれました。Hちゃんはお着物で可愛い♪ダンスクラスのKちゃんも実は数回ほど顔を出してくれている哲学カフェ。様々なことをやっているように思われがちですが、表現者クラスの人やピラティスクラスの生徒さんたちもちょいちょい来てくれます。

こんな交流も素晴らしいな!と思う瞬間です。

 

さて、この日は、珍しく私の仕事が午前中で終了だったので、15時から近くのファミレスでオフ会を催しました。まぁ、オフ会といっても、ただの楽しくしゃべるってだけの時間でしたが、そういうこともお互いの内面を少し知ることにはつながりますからね、大切だと思います。またやりましょう。

さて、会の話へと移行しましょう。

 

・真実と真理は別のもの

・この世は矛盾でできている

・真理は人の数あり、価値は人の数ある

・真実と真理の違い、なかなか区別がつかない

・甘さに身をゆだねないで真実のつらさを選びたい

 

・真実の延長線上に真理があるのでは?

・人びとは真実を求める傾向にある

・人は便宜的に嘘をつくが、顔や態度をみれば真実は隠せない

・多くの人にとって白黒はっきりしない多々のトーンがある

・それを判断するのは誰?

・真理を知っていると思っていることへの驚き

・空気を読まない人を「本当のことを言う人」というのでは?

 

皆さんの貴重な意見を聞きながら、自分の思想を高めていく。

これができること本当に素晴らしいなぁと感じています。

批判はすれど否定はしない。この会でのルールはたった一つ、それだけです。

それが嘘でもマボロシでもかまわないわけです。

 

「批判はすれど否定はしない」

 

このことをあらためて胸に掲げなければと感じた夜でした。

 

「それは違う」

 

という否定的な考えが浮かんだ時こそ

「それは違う」と感じた自分の思考を疑っていきたい

 

こうであるべき

それは違うだろう

そんなはずはない

まったくおかしい

 

このような言語が浮かんだら

真っ先に自分を疑う

そのことは先人の哲学者たちもほぼすべての人々が訴えてきていることです

 

しかしながら、我々はそれがなかなかできないわけですよね

ゆえに信仰に頼ったり、経済的な価値に頼ったり、偉い先生の言葉にたよったりする

 

会の中でも出てきましたが、「空気が読めない人=本当のことを言う人」のこと、私も以前からよくその概念についてや、一般的な取り扱い、立ち位置について考えていました。

 

そして、思うわけです。。。。

 

「空気を読むくらい、誰でもできる」ってば(笑)できない人ってそんなにいないですよ。

なにしろ生きている限り人間は空気吸ってますから。

 

その空気じゃありません!って思った人、だったら、あなたが「空気」と呼んでいるソレはいったい何かを説明してみてくださいよ、と言いたいくらい。

一般的に言われている場の空気は、みんな読んでますよ3歳の子供でも読みます。

 

しかしながら、その自分が読み取った空気を誰かが「動かす」とみんなざわつくんです。これが真実でしょう。だから、「空気を動かさないでほしい」ということを、「空気を読んで―」とか言ってしまう人間の真実にかがついた次第です。

 

空気を読むなんて生きてりゃ大体の人がやるんだから、その読んだ空気をどの方向に動かさねばならないかを考えられるところまでいかなきゃもったいないねって、個人的にそう思ってるんです。すると、嘘にも善とか悪とか徳とか損なんかがあるって見えてくる。いいとか悪いでなく、そこまで考えると「嘘」って本当に存在しているんだなぁって判明する。「嘘」の存在が判明したらその反対は何だろうと思うと、「本当」ということになるのかしら?だったら、うそ同様「本当」にも良いとか悪いってないわけですよね。ということになる。じゃあなんで「嘘」が嫌われるかっていえば、往々にしてだまされた側が、「嘘つかれると困ることになる」からなんでしょう。「多くの人が困る」という事態は社会の危機ですからね、ゆえに「嘘」はついてはいけない、「本当」のことを言いなさい、という思考は「公を守る」ためには必要なことではあっても、個を守ることのためにさして大きな関与はないように思えます。ということは、国や社会や地球に興味がなくて自分だけがこの人生だけが大事なのであれば、永遠に嘘をつき続けたって、また、たまには本当を挟み込んだっていいわけですよ。だって自分の好きに生きるために空気を動かしたことを悟られないようにさえ生きられれば誰からも、「空気を読まない人!」なんて責められもせずに、こっそり進みたい方向に進み、自分だけ楽しく生きられるわけですから。

 

空気を読んで動かした人たちはだいたい死刑とかになってるでしょ。ソクラテス然り、イエス然り、歴史的にみてもそうだから、空気は読んでもいいけど、動かしちゃアブナイわけで、これはどうやら間違いないと思われます。

 

どうやらこの世界には、個を守る嘘と公を欺く嘘、公を守る嘘と個を欺く嘘が存在していること認めないわけにはいかないようです。個と公、どちらもできるだけ守れる嘘の方向はどっちですか?私的にはそんなことを思った回でした!

 

 

次回は7月14日(土)17:30~19:30

「サルトルと老いについて考える夜」

 会場 阿佐ヶ谷 産業商工会館 第2集会室(阿佐ヶ谷駅から徒歩5分)

会場がいつもと違いますのでご注意くださいね!