【遺伝子操作はどのようにして人間の人間性をすり減らすのか?】について考える夜

 

第55回は遺伝子操作から、倫理観から、人間を考える夜でした。ご参加の皆様ありがとうございました!

 

使用図書「完全な人間を目指さなくてもよい理由」

マイケル・サンデル著

 

遺伝子操作などの営みがどのようにして人間性をすり減らすのかを考えながら、遺伝子操作等が人間としての自由や人間としての繁栄のどのような側面を脅かすかについて、参加者のみなさんと考えを深めることを目的にした会でしたが、このような分野のこと、そうそう他人と話す機会って少ないですからね、佳い機会になりました。

 

写ってない人も含めると9名の皆さんがご参加くださいました♪佳い哲学の夜でいしたね、皆様お疲れさまでした。

 

「考える」ということは、一人でするのもいいですが

やはり、他者との交流があって初めて見える空間と時間がありますね。本当に人は人と交流することをもっと大切に考えねばならないなぁと思う時間でした。

 

長野の上田にて開催した「粗忽長屋で考える」の回に参加してくださった方がご参加くださいました。このようなことも、ホラ、人間の交流の喜びですね♪

 

人はだtれかと触れ合ってこそ、変化してゆけるわけなので、みなさんも次回のカフェにご参加下さいませ♪一緒に哲学を思想を楽しみましょう!

 

みなさんの意見

・人間性とは、物語性であると思う

 

・技術を追求し続けたその先に有るものが人間性なのではない可と思った

 

・エゴでの改良は人として、やはりあってはならないと思う

 

・グロテスク美よりも、素朴な弱さを好む人間性を自己に発見した

 

・持って生まれたものではなく、逆境にも負けず、持っていないものを追い求め続けることが美しい人生のように思った

 

・エンハンスメントに酔いしれるような様はそのうちしっぺ返しを食らう気がする

 

・神の領域に踏み込むという謙虚さが必要なのではないか

 

・こういう課題を話すのはとても大切だと思う

 

・古今東西の中でいつも人類の目前にあった問題だ

 

・少し気持ちが若返ったような気がしている

 

・自然に刷り込まれている改良を鑑みれば、何処までも操られている感がある

 

・自分自身の成長のためにエンハンスメントしない自分を保っている

 

・個人的には市内が気持ちは理解できる

 

・エンハンスメントがもたらす社会の変化を楽しみにしている

 

・病気にならない、壊れない自分は、もはや人ではない気がする

今月のまとめ

 

著書の中でサンデル氏も問いかけていますが、倫理、というものを考える時には、まず「問い」を明確にしたほうがいいということを思った夜でした。自分自身が何に戸惑い、何に躊躇し、何を不安に思い、何を嫌悪したか、その感覚を言語化することは自分の中の「問い」を言語化することへの第1歩かと思われます。

 

言語化した感覚というものは、他者へ自分の感覚を伝えることに役立ちます。また、他者の感覚を知ることにも役立ちますね。他者へ自分の感覚を伝えるための言語を、交流するもの同士が伝えあい、お互いの感覚を認め合う中で、さらに生まれてくる矛盾や疑問は、たった一人で思考しているときには浮かんでこないものです。これは本当に大切なことです。

 

感覚を言語化する、それを他者との交流の中で研磨する、その繰り返しの中で、できるだけ多くの人に再生可能な、できるだけ多くの人に反復可能な「倫理」というものが現れるのは間違いないでしょう。ですから、そのような「多くの人に再生可能反復可能な倫理」というものさしでエンハンスメントに向き合うことは重要なことなのであろうと思えます。そしてそのエンハンスメントは何処にでも存在するものであり、些細なことであれば、自分の人生に関係のないことであれば、どうでもいいというような感覚とは無縁の場所になければならないものなのだとも思います。

 

倫理の問題はとくに、どう読んだらいいかわからなかったり、ただ怒られているだけの気分になるという人もいたりしますが、今回のカフェで考えた「自分のものさし」で読んでみると、サンデル氏を含む他者の意見を批評する力も生まれますし、自分の思想を批評する力も付きますね。中学生以上であれば読む価値はある1冊ではないかと思います。

 

みなさまもぜひ!

 

 

 

今日も考える日々だ

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