第57回 (けんこう)ということばによって「誕生したもの・失ったもの」を考え対話する夜

新年、一発目の哲学カフェは

新企画の「或るテーマについて対話する哲学カフェ」

新年、お年玉価格!ということで100円の参加費と

飛び込み参加も可能です♪とTwitterでつぶやいたことで

飛び込み参加の方が数名、バタバタといらっしゃって

ご予約いただいたみなさんと合わせて。。16名

昨年末より1名多く、これこそ新記録。という夜でした。

 

そんな新年1発目のテーマは「けんこう」

ちなみに、写真は私ですが、私の専門職はボディワークとダンス講師、そして、ダンサー表現者としても活動しているので、「けんこう」のテーマに沿った職業だなぁと、このブログを書こうとして、はっと気がつき(笑)踊っている証拠写真を上げておこうと思った次第です。

 

さて、「こころ」「からだ」「けんこう」このような言葉は人間の歴史の中でいつ生まれてきたのだろうか?もし、このような言葉がなかったら、私たちの人間に対するイメージはどのように変化したでしょうか?その変化は、経済やサイエンスにも大きく影響を与えることは当然のことだと思われます。言葉によって人のイメージはつくられ、国のルールも、社会の常識も、左右されていくわけです。「こころ」「からだ」「けんこう」このような言葉が存在しない場合、あなたはどのように自分のことを説明しますか?そのような対話の交流を繰り返しながら、健康という言葉によって、「誕生したもの・失ったもの」を考えた夜でした。

野口三千三さんの言葉を頼りに。

今回、手掛かりとさせていただいたのは野口三千三さんの書「原初生命体としての人間」から数行を抜粋して、その言葉をきっかけに背中を押してもらいながら、「けんこう」を探っていきました。さて、野口三千三さんをご存じない方への説明です。こんな機会もなければ出会うこともなかった日本における(身体でする哲学)の大家だろうと思いますので、このきっかけを通じて著書を読んでいただけることを切に願います。

昭和・平成期の体育学者

野口体操教室主宰  東京芸術大学名誉教授。

生年大正3(1914)年11月16日

没年平成10(1998)年3月29日

 

 

小学校低学年に鉄棒の大車輪を教えるなど、早くから独自の指導で知られた“野口体操”の生みの親。芸術、教育など様々な分野に影響を与えた。著書に「原初生命体としての人間」(写真:HPより引用)

 

 

 

みなさんの様々なご意見

「けんこう」という言葉によって

我々が失ったもの・得たものって?

ということを考えてみて

・世代や性別や環境の差異を超えて語り合える共通の話題になりえるもの

 

・様様なことが起きる人生を受容して、そのうえで銃に生きていきたい

 

・周囲がどう見るかを基準にしたくない

 

・不健康な状態を味わいながら健康を考えていきたいと思う

 

・健康について考えること自体不健康な気がする。何も考えず囚われず生きていきたい

 

・心と身体の相互作用でありバランスが大切

 

・人は、自分らしさと世間とのギャップに苦しんでいるのかもしれない

 

・けんこうは良いことのように考えていたので様々な意見を聞いて驚いた

 

・社会にどう適応していくかということが含まれるんだなと思った

 

・ほんらい、けんこうは、安らかな状態のはずだと思っていました

 

・病気を恐れるがあまりに心のバランスを崩したりもするので、自分だけの満足というものが大切だと思った

 

・筋トレは科学だという知人の言葉を思い出した

 

・いろんな意見を聴けて良かった。痛む時に常識的なけんこうではなくなった自分をどう肯定していけばいいのか疑問も残った

 

・健康の話をすると身体の話になる。心の健康の話にならない。社会が悪くなると健康をビジネスにする人が増えるように思う。

 

・身体と心、一度分けて両者を考える必要がある気がする。

 

・けんこうは、生活に不都合のない状態だと思う

 

・健康という言葉の基準は、大多数の人々の安心感が影響する。ゆえにそれにそれると不安になる。道をそれてしまうことを許容しにくくなった。本来は、対処療法としての健康ではなく、健康的な身心の底上げが大切なのでは?

 

・面白かったです。いろいろなとらえ方があるんだなと。検証できないものだからとりあえず、多数の意見に流されてしまう。だから生まれてくるハラスメントもある気がします。

 

わたしたちは知っていることしか理解できない。

 

当たり前ですが、この当たり前を、当たり前に理解することは難しいですね。

なぜならば、私たちは「知っていることしか理解できない」からです。

 

ゆえに、今回、取り上げた野口三千三さんの言葉や投げかけは、身体を知る人間にとっては至極当然のお話ですが、自分の背骨の数も知らずに生きている人にとっては、何言ってんの?というお話なのかもしれません。

 

私の身体の仕事のほうへ来てくれる生徒さんたちには、毎回、このような身体でする哲学のような話を盛り込んでレッスンしていますので、ピラティスクラスやダンスクラス・表現者クラスの方々が哲学カフェにお見えになっても、何の違和感もなくご自身の考えを発表していかれるのも、至極当然の成り行きです。

しかしながら、哲学カフェだけでしかお目にかからない方々とは、どうもアンバランスな会話の状態を感じることが多い、ゆえに、我々には身体もあるのだということを考えていただきたかったのであります。

身体もあるのだ、ということがわかれば、世間とか社会とか呼ばれるものも、それがなぜそこに存在しているのか、ということを、さらには、戦争や平和のことも、原発のことも、自分で考える手掛かりにもなるからです。

 

今回のテーマを取り扱い、改めて、このことの大切さを痛感しましたので、4月にも身体を考える哲学カフェを開催する運びとなりました。4月28日(日)13時からになります。自分の背骨の数くらいはわかっている人になろう!というような意気込みで(笑)

 

ご参加の皆さん、本当にどうもありがとう!

 

さて、私を好きでいてくださっている皆さん、2月からはじまる哲学の基礎を学ぶ会もお楽しみにね♪

もうすうでに2名のご予約をいただいているので残席8となります。この会は初心者向けの会なので10名の定員はきっちり守らせていただきますので飛び込み参加はできません。よろしくね。

ではまたすぐに!皆さんと哲学を学びあう夜まで元気に生きておきます!とっこ。

今日も考える日々だ

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